【11月9日 AFP】スウェーデンの首都ストックホルム(Stockholm)とノルウェーの首都オスロ(Oslo)で毎年発表されるノーベル賞(Nobel Prize)の取材は、学校の学期試験を受けるようなものだ。ただし、一つだけ違う点がある。事前にその「科目」を勉強できないことだ。

 毎年10月上旬、医学、物理学、化学、文学、平和、経済の分野で先駆的な仕事を成し遂げ、ノーベル賞の受賞が決まった人々の名前が、1週間をかけて一つ一つ、各選考委員会によって発表される。

 AFPの記者として頭をかきむしりたくなるような神経戦の日々は、発表の何週間も前、9月から始まる。各分野の受賞者候補について臆測が飛び交い始める時期だ。中でも、文学賞と平和賞の行方が最も注目を集める。

 受賞者を決める各分野の委員会は、候補者について常に堅く口を閉ざし、その選考の内幕は50年間、明かされていない。そこでジャーナリストや識者たちは予想ゲームを展開する。どの読みにも分があることを承知しつつ、我々は候補に挙がっていると推測される人物たちについて、より洞察に富んだ予想記事を書こうと努力する。

■臨戦態勢のアラート配信

 そして、ついにノーベル賞発表の週がやって来る。昔は、選考委員会がすべての主要メディアに特使を送っていた。彼らは受賞者の名前が入った封筒をしっかりと脇にかかえて到着し、電話で「ゴー! ゴー! ゴー!」という合図を受けて初めて我々に封筒を手渡すことが許された。

 私がノーベル賞の取材を始めた頃、AFPはスウェーデン通信社(TT)のオフィスで他の通信社と一緒に待たなければならなかった。そこに特使が各通信社宛ての封筒を持って来た。私は封筒をつかむとすぐに記事を書くために、近くの支局まで走っていた。ずっとこのやり方でうまくいっていたが、ある年、全力で駆け出した私の靴のかかとが電源コードに引っかかり、どこかの不運な記者のパソコンのプラグを最悪のタイミングで引き抜いてしまった。

スウェーデンの首都ストックホルムで、2015年のノーベル文学賞の受賞者発表会見に集まった報道陣(2015年10月10日撮影)。(c)AFP/JONATHAN NACKSTRAND

 だが時代は変わった。発表は今やテレビで生中継され、瞬時にプレスリリースがノーベル財団(Nobel Foundation)のウェブサイトに公開される。医学賞の選考委員会だけが今も私たちのオフィスに特使を派遣しており、もう15年近く同じ女性がこの特使を務めている(ある種の伝統だ)。ノーベル財団のウェブサイトは毎日、大きな時計で発表までのカウントダウンをしている。スリー、ツー、ワン、受賞者は──。

 速報態勢が始まる。すぐに受賞者の名前をアラート配信し(スペルミスは許されない!)、至急、国籍を確認する。国籍は委員会のプレスリリースに必ずしも記載されていないからだ。運が良ければ、ノーベル財団のウェブサイトで間に合うが、多くの人が同時にアクセスを試みるため、時にサイトがクラッシュしてしまうこともある。私は一度、物理学賞の受賞者のページにアクセスできず、罵詈雑言を叫んだ末に、少し前にアクセスしてそのページをプリントアウトしていた同僚に救われたことがある。ノーベル委員会はなぜ特使の派遣を止めてしまったのだろう?

■下準備、スピード、筆力…記者スキルを出し切る

 どの賞を報じるにも違った挑戦がある。科学関連の賞については、極めて専門的な内容を分かりやすく書かないといけない。皆がおそらく聞いたこともないような画期的な研究について、一般の読者でも分かるように簡単な言葉で表現するのだ。これは大半の記者にとって手ごわい任務だ(自分用メモ:生まれ変わったら科学の授業をもっと一生懸命、聞いておくこと!)

 例えば今年の物理学賞。プレスリリースには、受賞者は「ニュートリノ振動を発見した」日本の梶田隆章(Takaaki Kajita)氏とカナダのアーサー・マクドナルド(Authur McDonald)氏だと書かれていた。え、ニュートリノ振動って何?

 私たちは委員会が発表した背景情報とネット検索を駆使し、600語の詳細記事をまとめてできるだけ早く配信しようと最善を尽くす。

 文学賞については、運に恵まれることもある。候補としてよく名前が挙がる作家たちについて、彼らの出身国のAFP支局に受賞時に備えて素材を用意してお くよう頼むのだ。今年はそれが報われた。ミンスク(Minsk)支局がベラルーシのスベトラーナ・アレクシエービッチ(Svetlana Alexievich)氏について記事を準備していたおかげで、受賞発表から数分以内に配信することができた。

2015年のノーベル文学賞の受賞者発表を受け、独ベルリンで記者会見に臨むベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏(2015年10月10日撮影)。(c)AFP/JOHN MACDOUGALL

 一方、今年の平和賞はそういう運に恵まれなかった。6つのノーベル賞のうち唯一オスロで発表される平和賞はおそらく最も注目されている賞だろう。AFPのオスロ特派員ピエールアンリ・デシャイエ(Pierre-Henry Deshayes)は一年を通して、ノルウェーのノーベル委員会の声明を注視し、誰が候補に挙がっているか、探り続けている。

 彼は毎年、数多くの予想受賞者について、和平プロセスや仲介者のプロフィールなどの背景情報を準備している。今年はアンゲラ・メルケル(Angela Merkel)独首相から、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、広島と長崎の被ばく生存者2人、反核団体の核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、コンゴの医師デニ・ムクウェゲ(Denis Mukwege)氏、コロンビアの和平関係者、イラン核協議合意の関係者といった候補について、多くの背景素材を用意していた。すべてに受賞の可能性があり、私たちは準備万端だと思っていた。

 そして、マイクに近づいたノーベル委員会のカ―シ・クルマン・フィーベ(Kaci Kullmann Five)委員長が発表した今年の受賞者は……チュニジアの「国民対話カルテット(National Dialogue Quartet)」!

 瞬間、私たちAFPのチーム全体をパニックが襲った。この受賞者について何も準備していなかったことを悟ったからだ。ならば、記者として訓練されている通りにやるまでだ。足を使って俊敏に動き、可能な限り最速で記事を配信した。(c)AFP/Pia Ohlin

この記事はAFPストックホルム支局(スウェーデン)のピア・オリーン副支局長が執筆し、10月20日に配信されたコラムを日本語に翻訳したものです。

ノルウェーの首都オスロで行われた会見で、2015年のノーベル平和賞受賞者を発表する同国ノーベル委員会のカ―シ・クルマン・フィーベ委員長(中央、2015年10月9日撮影)。(c)AFP/NTB SCANPIX/HEIKO JUNGE