【8月19日 AFP】外は気温35度、湿度は100%に近い。私たちはメキシコの南側の国境から米国の方へ向かう「ラ・ベスティア(怪物)」と呼ばれる貨物列車を追っている。この列車は移民の歴史の一部だ。何百万という人々が、アメリカンドリームを夢見てこの列車に乗ってきた。その途上で襲われたり、強奪されたり、身体を切断されたり殺されたりする者も多い。

 列車は時速40キロ以上で走り、テノシケ(Tenosique)駅を通過した。そこにいた数十人の移民の若者たちが飛び乗るには難しい速さだ。私と執筆記者とカメラマンの3人は、その若者たちを追った。暗闇の中を線路に沿って走る彼らに並走した。しがみつけたのは、1人だけ。他の10人以上は置いていかれて落胆している。幼い顔もある。怒っている者、あきらめる者。それは彼らにとって初めての挑戦ではなかった。

 私たちにも失望感があった。列車にしがみつく若者たちを撮りにきているのに成果がなかったからだ。メキシコ最北部へ向かう困難で危険な旅を冒す無数の子どもたち。この地域の移民危機を取材する時間は、5日間しかなかった(それでも贅沢な方だが)。逮捕者が増えていることや、人権団体が移民を標的にした暴力的な襲撃だと非難している警察の一斉捜査も取材したかった。

 遠くに暗闇を歩く10代の少年が見えた。私が近づくと、彼は疑いのまなざしを向け、私が持っていたビデオカメラを見つめた。話している暇はない、と彼はいう。線路に沿って次の町までたどり着きたいという。私はカメラを肩から下ろし、彼を会話に引きこもうとした。フアンは少しずつ心を開き始めた。信頼ができたと感じたところで、私は少しずつカメラを肩の上に戻し始めた。

 中米の多くの若者と同じように、フアンも祖国ホンジュラスをむしばむ暴力、ギャング、ドラッグから逃げてきたのだった。バックパックのひもに両手を引っ掛け、幼い子どものように見えたが、言葉はまったく大人びていた。「怖くなんかない。殺されるときは、殺されるまでだ。でも僕は前に向かって進み続ける」

 彼と別れたのは夜10時。テノシケの線路に彼を残し、ホテルに帰った。私たちは鉄の怪物のような列車を14時間も追いかけ、疲れ切っていた。フアンは数日間で600キロも移動して疲労困憊しているはずなのに、夜の闇を歩き続けていった。