【8月6日 AFP】太平洋(Pacific Ocean)のテニアン(Tinian)島にある基地に帰還中のエノラ・ゲイ(Enola Gay)の機内で、副操縦士のロバート・ルイス(Robert Lewis)大尉は日誌を開き、頭の中を駆け巡る多くの疑問を書き留め始めた。

「一体われわれは何人のジャップを殺したのだろう?」。銀色に輝くB29爆撃機が、最初の原子爆弾を広島に落とし、歴史の流れを永遠に変えた後、ルイス大尉はこう自分に問いかけた。

「正直言って、このことを説明するために言葉を探しているような感じだ。神よ、われわれはなんということをしてしまったのか?」

「(キノコ雲を)最後に何度か見たが、われわれがテニアン島に着陸する前にジャップは降伏するかもしれないと、私は正直感じている」

 日本が降伏したのは、その27日後、長崎にもう1発の原爆が落とされた後のことだった。

 当時、戦争に疲れた米国人たちは、極秘裏に開発された原爆の使用に絶大な支持を寄せていた。そして、70年が過ぎた今日もなお、米国人の大半は原爆投下が正しかったと考えている。

 米調査機関ピュー・リサーチ・センター(Pew Research Center)が2月に実施した調査では、対象となった米国人の56%が日本への原爆投下は正当化されうると回答。これに対し、日本人回答者の79%は正当化できないと答えた。

 米国人の多くは、原爆投下がなければ、数千、おそらく数十万、もしかすると数百万の米国人兵士が、日本への本土上陸作戦で死んでいたかもしれないと考えている。

 ワシントンD.C.(Washington D.C.)郊外のダレス国際空港近くにあるスミソニアン航空宇宙博物館(Smithsonian Air and Space Museum)が所蔵する膨大な歴史的航空機コレクションには、それぞれ150語の簡潔な説明が添えられている。

 エノラ・ゲイの説明書きには、「1945年8月6日、このマーチン(Martin)社製B29-45-MOは、戦闘任務として初めて使用された原子爆弾を日本の広島に投下した」と簡単な記載があるだけで、原爆による死者数や破壊規模については触れられていない。