■95年のエノラ・ゲイ展示では論争も

 エノラ・ゲイは、20年前の修復作業をきっかけに、第2次世界大戦(World War II)の退役軍人と、原爆投下を疑問視する若い世代の歴史家の間で論争を巻き起こした。

 退役軍人と米議会の支持者らは、ぴかぴかに磨き上げられたエノラ・ゲイのフロント部分を目玉として展示する原爆投下50周年記念展示会は、日本人を「侵略者ではなく被害者として」(空軍協会(Air Force Association)のジョン・コレル(John Correll)氏)描いていると主張。

 エノラ・ゲイの機長を務めたポール・ティベッツ(Paul Warfield Tibbets)准将は当時、展示会を「うその寄せ集め」と断じ、「原爆使用の決断について、多くの人が後知恵で批判している。しかし、私はそうした人々に『やめろ!』と言いたい」と述べた。

 博物館は反響の大きさに驚き、「岐路~第2次世界大戦の終わり、原爆、そして冷戦」と題した展示会の計画を少なくとも5回見直した。1995年に開幕した展覧会には、2年間の会期中、400万人が訪れた。

 開幕までには、エノラ・ゲイの展示はその歴史的任務の簡潔な説明に絞られ、原爆使用のメリットや倫理についての論議は姿を消した。

 スミソニアン博物館の米旧式戦闘機の学芸員であるジェレミー・キニー(Jeremy Kinney)氏は、エノラ・ゲイの操縦室の高さに設置された歩道橋の上でAFPに対し、「われわれはこの遺物を展示してほめたたえているわけではない」「できる限り多くのことを説明しようと努力し、さらに人々に自分自身で解釈してもらうようにしている。少なくともそれが学芸員としての私の見解だ」と語った。(c)AFP/Robert MACPHERSON