欧州を掌握したプラティニ氏、新たな野望はFIFAの最高権力
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【7月30日 AFP】現役時代にフランス代表の名選手として活躍し、現在欧州サッカー連盟(UEFA)の会長を務めているミシェル・プラティニ(Michel Platini)氏は、国際サッカー連盟(FIFA)の次期会長選に出馬すると表明し、サッカー界の最高権力を目指すことになった。
イタリア移民の子孫で、今年60歳になったプラティニ氏は、現役時代に欧州制覇を成し遂げると、引退後の2007年には欧州サッカー界の最重要ポストに就き、さらに今度は汚職問題で名声が失墜したFIFAを改革するという大仕事に備えている。
FIFAのジョセフ・ゼップ・ブラッター(Joseph Sepp Blatter)現会長の後任を決める来年2月26日の次期会長選は、現時点でプラティニ氏が大本命に挙げられている。
会長に就任した場合、プラティニ氏は自身も強く求めてきた大きな組織改革に迫られる。そして、史上最大の危機に直面しているFIFAから汚職を一掃し、現在の混乱を収束させなければならない。
プラティニ氏は現役時代、1983年から3年連続で欧州年間最優秀選手「バロンドール(Ballon d'Or)」を受賞するなど、偉大なサッカー選手として世界で名をはせた。
フランス・リーグ1のナンシー(AS Nancy)時代にフランス杯(French Cup)制覇を成し遂げ、サンテティエンヌ(AS Saint-Etienne)でもリーグ優勝を果たしたプラティニ氏は、1982年にイタリア・セリエAの強豪ユベントス(Juventus)に移籍し、世界的なスター選手に上り詰めた。
ユベントスで2度のリーグ制覇を経験したプラティニ氏は、1985年のヨーロッパチャンピオンズカップ(European Cup、現在は欧州チャンピオンズリーグ(UEFA Champions League))決勝でリバプール (Liverpool FC)を下し、タイトルを獲得した。
しかし、この試合は直前にサポーターが暴徒化して死者39人を出したヘイゼルの悲劇(Heysel Stadium Disaster)が発生したことで、暗い歴史として刻まれている。
プラティニ氏はこの試合について、「記憶の最後に残っているのは、その場で愛する者を失った人たちと同じだ。あの悪夢の数分間で、すべてが変わってしまった」と振り返っている。
プラティニ氏が選手として絶頂期を迎えたのは、1984年に母国フランスで開催され、合計9得点を記録する活躍をみせた欧州選手権だった。
対照的に、W杯では結果を残せておらず、レ・ブルー(Les Bleus、フランス代表チームの愛称)で出場した1982年スペイン大会と1986年メキシコ大会では準決勝敗退に終わっている。