■今も変わらぬ日々の習慣

 引退を余儀なくされたバジラチャルヤさんは、自分の務めを放棄することも、隠とん生活を終わりにすることもできず、既知の暮らしを続けていくことにした。

 バジラチャルヤさんは、毎朝目覚めると、クマリだったころに着ていたような刺繍入りの赤いスカートをはき、髪の毛を頭頂に束ね、こめかみに向けて上向きにアイシャドーを塗る。

 特別な日には、額の真ん中に赤と黄色のパウダーで第3の目を描き、真鍮のヘビが彫り込まれた木製の王座に座る。

 毎週土曜日や祭りの間は、公式のクマリだったころと同じように信者が集まる。バジラチャルヤさんが使うのは、赤いれんが造りの家の、狭い階段を上っていった別室だ。下の階は、店舗と組合金融機関に貸し出されている。

「僧侶たちはやらなければいけないことをやったが、私は自分の責任を放棄することはできない」とバジラチャルヤさんは言う。

 バジラチャルヤさんのめい、シャニラさんが2001年にクマリに選ばれたときは、バジラチャルヤさんがシャニラさんに手ほどきをした。

 ネパールは、バジラチャルヤさんが生きているうちに激変し、ヒンズー教の王国から世俗的な共和国になったが、元クマリの日々の暮らしは昔のままだ。

 バジラチャルヤさんの近代化への歩み寄りのひとつは、テレビ好きになったことだ。特に時事問題を扱う番組とインドの神話を下敷きにしたドラマがお気に入りだという。

 しかし、シャニラさんによれば、地震が起きてからのバジラチャルヤさんは、ほとんどの時間を祈りにささげているという。

「地震でおばはひどく悲しんだ。私たちの占星術師は昨年、おばが家を出ることになるだろうと予言したが、どうやってそんなことが起きるのかと私たちは不思議に思っていた」とシャニラさんは言う。

「まさかこんなことが起きるとは、夢にも思わなかった」

(c)AFP/Paavan MATHEMA