■レイプの果ての虐殺

 トゥズラに到着し、空港に向かうと、そこで現実とは思えない光景を目にした。空港の脇に森があった。その森の向こう側がスレブレニツァだ。私たちの目の前に、何日間も逃げ続けて半分飢餓状態の男性たちが、何人かずつグループになって森から現れてきた。

 滑走路では非政府団体(NGO)たちが、架台式テーブルの上にオレンジジュースや、コーヒーの入った魔法瓶を用意していた。避難してきた人たちを迎えるためだ。まるで競技会や村の祭日のようだった。しかし、彼らはマラソンを走ってきたわけではない。死から逃れてきたのだ。

 血まみれの足に、汚れたぼろぼろの服を着て森から出てきた人々は、スレブレニツァへ向けて進軍するセルビア人勢力から逃げてきた男性や少年たちの一部だった。イスラム教徒の支配下にある地域まで徒歩でたどり着こうとしたのだった。

 スレブレニツァは国連平和維持軍が防衛していたが、守りきれずに侵攻された。8000人近いイスラム教徒が虐殺され、推定1万~1万5000人が脱出した。私がトゥルザにいた間に約100人の生存者が到着した。渇き、恐怖におののき、追い込まれた男性たちは、自分の家族がどうなったかさえも知らなかった。彼らは私たちに悪夢を語った。

 40歳ぐらいの男性は、私が少しセルビア・クロアチア語が理解できると分かると、私にしがみついてきた。今でも彼の熱い腕や、爪が肌に食い込んだ感触を覚えている。男性は私の腕をきつくつかみ「娘を見つけてくれ」と懇願した。13歳になる彼の娘はスレブレニツァでバスに乗ったが、セルビア人部隊に降ろされたという。

 ボスニア・ヘルツェゴビナの女性の大半は、子供たちと一緒にトゥズラに追放されたが、器量の良い女性たちは別にされた。彼女たちはセルビア人戦闘員らにレイプされ、ほとんどがその後、殺された。

 男性が言っていることをすべては理解できなかったが、それでも「助けてくれ」「私の娘を」と狂ったように懇願していることは分かった。私にできることは何もなかった。20年経った今でも、私はあの時の夢を見る。

 彼らは、逃げた自分たちをセルビア人部隊がどのように突き止めたか、私たちに語った。セルビア人戦闘員らは、ボスニアのイスラム教徒によくある名前を森の中で呼び、仲間の振りをした。そして隠れていたムスリム男性たちが姿を現すと銃殺したという。