■生きていればフェラーリ行きも

 4度の年間王者であるフェラーリ(Ferrari)のセバスチャン・ベッテル(Sebastian Vettel)が、ひつぎを大聖堂から運び出す作業に手を貸すと、ビアンキ選手がもし生きていれば、来季からキミ・ライコネン(Kimi Raikkonen)に代わり、ベッテルの同僚になっていたのかもしれないという事実を、嫌でも思い出させた。

 ビアンキ選手は、1994年のサンマリノGP(San Marino Grand Prix)で、3度の年間王者アイルトン・セナ(Ayrton Senna)氏が事故死して以来、初めてレースが原因でこの世を去るF1選手となった。

 この日は、セナ氏のライバルであったアラン・プロスト(Alain Prost)氏もビアンキ選手に別れのあいさつを述べ、オリビエ・パニス(Olivier Panis)氏や、現役ドライバーのロマン・グロージャン(Romain Grosjean)、フェリペ・マッサ(Felipe Massa)もそれにならった。

 ビアンキ選手は、昨年10月5日に雨の降りしきる鈴鹿サーキット(Suzuka Circuit)で行われた日本GPで、高速のまま撤去車両に衝突、脳に絶望的なダメージを負った。

 そしてここ数か月間は、ニースの病院で生命を維持するため昏睡(こんすい)状態に置かれていた。

 1989年、イタリア系の両親の間に誕生したビアンキ選手には、レーサーとしての血が流れていた。

 父親のフィリップ(Philippe)さんはカートのスペシャリストで、祖父のマウロ(Mauro)さんも、1960年代にレーサーとして活躍していた。また、大伯父のルシアン(Lucien)さんは元F1ドライバーで、34歳のときに事故で亡くなっている。

 フェラーリ・ドライバー・アカデミー(FDA)に所属していたビアンキ選手は、2013年にマルシャと契約すると、計34レースに出走。獲得したドライバーズポイントは通算2ポイントで、現在もチーム記録となっている。

 ビアンキ選手の事故後、F1は安全な速度での走行を促すため、「バーチャルセーフティーカー」の導入などに踏み切った。

 FIAは、ビアンキ選手への敬意を表し、カーナンバー「17」を永久欠番にすると発表している。(c)AFP/Daniel ORTELLI