【7月13日 AFP】シリアやアフガニスタン、イラクの内戦や紛争、困難を逃れ、美しいギリシャの島々にたどり着く難民・移民たちは、希望と志で胸を膨らませている。しかし、ひとたびアテネ(Athens)に降り立って悟るのは、この国が危機的な状況にあり、自分たちに差し出してくれるものなど、ほとんど持っていないということだ。

 朝6時、アテネのピレウス(Piraeus)港に太陽が昇ると、夏の休暇を楽しむ人々に交じり、フェリーから何百人もの移民が下船してくる。比較的若い男性や、寝袋とバックパック一つずつしか持たない家族から成る移民は、疲労しているにもかかわらず、明らかに安堵(あんど)した表情を浮かべる。到着を記録しようと、自分の携帯電話でセルフィー(自撮り)をする者もいる。

 そんな中にいたヒシャム・モヒ・アル・ディーン(Hisham Mohy Al Deen)さん(37)は、シリア出身のパレスチナ人で、以前は国連(UN)に雇われていた。かたわらには、疲れた顔をした妻のワラアさんと3人の娘たちがいた。一番下の娘は生後わずか数か月だ。ディーンさんは、ギリシャに来ることができてうれしいと語り「戦争から離れて、新しい生活を始めたい」と話した。

 2週間前、ディーンさん一家は、トルコ西海岸から乗船し、そこから約20キロ離れたエーゲ海に浮かぶギリシャのレスボス(Lesbos)島に降り立った。もともと、シリアの首都ダマスカス(Damascus)出身のディーンさん一家は、レスボス島の難民保護施設で野営しながら6日間を過ごした。その後、有効期限1か月のビザを渡され、アテネ行きの船に乗るよう勧められた。しかし、アテネにたどり着いた一家を待っていたのは、国際電話カードを売っている英携帯電話会社ボーダフォン(Vodafone)の販売員だけだった。

 すぐ近くで、ダハ・アルワキル(Daha Alwakil)さん(32)がコーヒーを飲んでいた。アルワキルさんは、妻と2人の子どもをイラクのバグダッド(Baghdad)に残し、10歳のヤシン君だけを連れてきていた。「トルコから船で来た。みんな、船で来ている。解放された気分だ」と語った。

 1時間後、アテネ中央のオモニア広場(Omonia Square)に新たな移民がやってきたという情報が口コミで広がった。広場にある建物の正面には「ようこそギリシャへ」と書かれた幕が下がっている。広場では、くたびれた格好をした到着直後の少人数のグループが休息をとったり、自分より前に到着した移民から情報を集めたりしていた。