【6月17日 AFP】ナイジェリアのイスラム過激派組織「ボコ・ハラム(Boko Haram)」は長い年月をかけてイスラム教の一宗派から、「イスラム国(Islamic StateIS)」に忠誠を誓う武装組織へと変貌を遂げた。過激派に転じて以降、破壊的な攻撃を繰り返し、地域の安定を脅かしている。

 ボコ・ハラムという名称は、ナイジェリア北部で話されるハウサ語で「西洋の教育を禁じる」ことを意味する。この組織が目指しているのは、イスラム教の預言者ムハンマド(Prophet Mohammed)の後継者「カリフ」が統治するカリフ制国家の樹立だ。

 イスラム原理主義を支持したボコ・ハラムの創始者、モハメド・ユスフ(Mohammed Yusuf)師(09年に死亡)は、ナイジェリアが抱える問題は旧宗主国の英国がもたらした西洋的価値観に原因があると考えた。

 ユスフはナイジェリア北東部ボルノ(Borno)州の州都マイドゥグリ(Maiduguri)で、イスラム教徒が多く住む地域の発展を怠った世俗政府を声高に批判し、政治に不満を抱いていた多くの若者を引き付けていった。1990年代にはユスフがモスクで行っていた説教で信奉者を集めたが、一般的にボコ・ハラムが登場したのは、当局がユスフに注意を払い始めた02年と考えられている。

■「暴力への転落」

 ボコ・ハラムの当初の活動はおおむね平和的だった。しかし09年、マイドゥグリでの暴動が軍との武力衝突に発展し、700人前後が死亡、モスクや本部が廃虚と化し、収監されていたユスフが射殺されると活動は一変した。ボコ・ハラムは地下に潜伏し、生き残った幹部らは国外逃亡した先で、訓練を積んだ戦闘員による攻撃の必要性を確信したとされる。組織はイスラム法の適用という目標を越え、ナイジェリアの安定を暴力で揺るがすようになった。

 ユスフの右腕だったアブバカル・シェカウ(Abubakar Shekau)容疑者が新指導者となって以降、ボコ・ハラムは主にナイジェリア北東部の学校や教会、モスク、治安部隊や政府機関を標的とした攻撃を繰り返し、6年間で少なくとも1万5000人が犠牲となっている。

 ボコ・ハラムのメンバーの一部は12~13年にマリで、「イスラム・マグレブ諸国のアルカイダ組織(Al-Qaeda in the Islamic MaghrebAQIM)」とともに訓練を受けたとされる。米当局は両組織の関係を指摘している。

 襲撃の頻度が増す中、ボコ・ハラムがかつてないほど世界の注目を集めたのが、14年4月にボルノ州チボク(Chibok)の学校から200人を超える女子生徒たちを拉致した事件だ。また同じく昨年8月にはシェカウ容疑者が、ボルノ州グウォザ(Gwoza)で「カリフ国家」を宣言。さらにシェカウは今年3月7日、イラクとシリアの広い地域を制圧しているイスラム過激派組織「イスラム国」への忠誠を誓った。ボコ・ハラムは6月に公開したビデオで「西アフリカのイスラム国(Islamic State of West Africa)」を名乗っている。(c)AFP