よみがえるナポレオン邸、セントへレナ島の記憶の番人
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【6月17日 AFP】ナポレオン・ボナパルト(Napoleon Bonaparte)の流刑後の人生が時を超えて魅力的な物語であることを熟知する、フランス人のミシェル・ダンクワンマルティノー(Michel Dancoisne-Martineau)氏。1815年にナポレオンが南大西洋のセントヘレナ(Saint Helena)島に流され、6年後に死を迎えるまで暮らした屋敷を保存する任務を請け負う人物だ。「いわば私は、ナポレオンの後世という商品を、人々に売り込む努力をしているわけです」と話す。
人口4200人の英領セントへレナ島に住むフランス人は、ダンクワンマルティノー氏を含め数人しかいない。そんなセントヘレナ島内にある、16.5ヘクタールのフランス領を管理する役目を果たす49歳のダンクワンマルティノー氏は「私がいなくなった後も、この屋敷が保存されていくことを願っています」と語って微笑んだ。フランス最大の軍事的英雄が息を引き取ったベッドの傍らでは、ダンクワンマルティノー氏の愛犬パピヨン(フランス語で蝶の意)が眠っている。
1987年にこの仕事に就いたダンクワンマルティノー氏は、フランスの元皇帝が住んでいた屋敷、ロングウッド・ハウス(Longwood House)を改築する野心的なプロジェクトの先頭に立つ人物でもある。そして屋敷を改築するには、今ほど絶好のチャンスはない。
セント・ヘレナ島にたどり着くためには、今も5日間の船旅を経るしかないが、来年にも南アフリカのヨハネスブルク(Johannesburg)から同島まで毎週1便の直通航空便が運航されることになり、島民は観光客数の増加を期待している。ダンクワンマルティノー氏は、その時までに準備を万端にしておきたいと意気込み「この屋敷の管理を民営化して売店を作ったり、入場券を販売したりしたい」と話す。
セント・ヘレナ島のフランス領内には、ロングウッドにあるナポレオンの屋敷や、ナポレオンが自分の死後に遺骨が故国へ送り返されなかった場合、埋葬を望んだという静かな「ゲラニウムの谷(Geranium Valley)」がある。
ダンクワンマルティノー氏はまず、ナポレオンとともに流刑に処された側近たちが暮らした「将軍たちの部屋」の改装から開始した。1860年に損壊した後、1933年に粗悪な方法で建て直された屋敷の改装費用は、総額140万ユーロ(約1億9300万円)にも上った。そのうちの半額を仏政府が拠出したが、ダンクワンマルティノー氏は残りの半分の出資者を探さなければならなかった。しかし、高額な改装資金を調達するのは困難なことではなかったという。
「ナポレオン財団(Napoleon Foundation)を通して、屋敷の改築費用捻出を目指す国際的なキャンペーンが行われ、これまでに150万ユーロ(約2億700万円)の資金が集まった」とダンクワンマルティノー氏は微笑んだ。