【5月8日 AFP】4月25日にネパール地震が発生したとき、AFP南アジア地区の写真主任ロベルト・シュミットとカトマンズ支局長のアム・カナンピリは、ちょうど取材でエベレストのベースキャンプに到着したところだった。ネパールで5000人以上が死亡した地震はこの山ですさまじい雪崩を引き起こし、少なくとも18人が死亡。2人のAFP特派員も九死に一生を得た。

■「生き埋め寸前だった」──ロベルト・シュミット

 私たちは9日間のトレッキングの末、ベースキャンプに到着したところだった。きつい行程で、体への負荷は計り知れなかったが、まさに息をのむような素晴らしい場所だった。一通り写真を撮影し、自分たちのテントを探しに行こうとしたときだった。まだ到着してから10分も経っていなかったが、轟音がうなるのを感じた。アムに「これは何?」と聞かれた。私は地面が動いている、雪崩だと答えた。

 コロンビアで育った私は小さな地震には慣れていたが、ここまで大きな音を聞いたことはなかった。テントを抜け出した私たちは、その恐ろしい音を聞いた。電車が迫ってくるような音だったが、地下深くから響いてくる、ものすごく強力な音だった。あたりは曇り、アムがテントの中に入ると左手に突然、轟音とともに大きな波が見えたのを覚えている。「何てことだ!」

 波はあまりに大きすぎ、写真ではそれが十分に伝わらない。私はカメラをつかみ、ただシャッターを押し続けた。3枚撮ったところで、それは目の前に迫っていた。私はテントに飛び込み、テーブルの下にもぐった。

 風がたち、波がぶつかったようだった。雪崩にのみ込まれ、自分の体が逆さまになっているのか、どっちを向いているのかも分からず、宙返りを繰り返しているかのようだった。やっと自分の背中が地面についていると感じたとき、石が落ちてくる音がした。「もう終わりだ。生き埋めになるんだ」と思った。

 石は私の上に積もり続け、そして静寂があった。完全な静寂だ。私は生きていた。意識もあり、息をするために空気を求めてもがいていた。すべて、どかさなくては、息をするために…すると突然、手を引っ張られるのを感じた。シェルパ(ネパール人登山ガイド)のパサンが私を引き起こしてくれていた。アムは血を流し、左手の爪は完全にはがれていた。

 幸運にも、私たちのテントの横には岩があり、それが私たちが完全に流されるのを防いでいた。私がカメラを探さなければというと、パサンが手渡してくれた。カメラは雪にすっかり埋もれたせいで壊れず、レンズさえ割れていなかった。

 私たちがテントから抜け出すと、他の人々も急に現れ始めた。皆、放心状態だった。私は写真を撮り始めたが、それよりも皆を助けるべきではないかと思わずにいられなかった。

 それから1時間、近辺で雪崩が起きる音を5回以上、聞いた。近かったが、視界が悪すぎて見えなかった。とても恐ろしく、いつまでも耳に残る音だったが、私たちのところへ向かってきているのかどうかさえ分からなかった。

 私はそれから負傷したネパール人男性を助けた。彼に私の家族のことを話し、私たちは2人とも再び息子に会えると語りかけたことを覚えている。大惨事の中で、温かい交流が生まれた一瞬だった。