【5月1日 AFP】1975年4月30日、南ベトナム・サイゴン(Saigon、現ホーチミン)の大統領府(現在の統一会堂)で1台の戦車が正門鉄柵を突破し、サイゴンは陥落した──。ベトナム戦争終結から4月30日で40年が経過したが、この間、この戦車の乗員たちは、その功績が世に広く知られることのないまま、ひっそりと暮らしてきた。

 ベトナム戦争最後の日、サイゴン中心部に進入した390号戦車は集中砲火を浴び、司令部との連絡も途絶えていた。それでも戦車長のブー・ダン・トアン(Vu Dang Toan)さん率いる戦車は大統領府に突入。頭には勝利のことしかなかったという。

 戦争終結以降、ベトナム政府は一貫して、大統領府に最初に進入した戦車は843号戦車だとしてきた。それでも、トアンさんをはじめとする390号の乗員ら4人は先に突入したのは自分らだと主張。この主張は後に、サイゴン陥落を目撃した仏女性写真家、フランソワーズ・デモルダー(Francoise Demulder)さんとその写真によって裏付けられている。

 その後、中国製の「390号」とソ連製の「843号」は国の宝ととして扱われることとなり、2台は現在、ハノイ(Hanoi)にある博物館に展示されている。

 事実が認識され、素直にうれしいと話すトアンさんだが、自ら進んで当時のことについて話すことはあまりなく、取材に応じることもまれだという。「(そのことを知った)家族や隣人は皆、驚いていたよ。こんな秘密を話さないなんて頑固者だとね」と語った。

 トアンさんは20年間にわたり兵士として過ごした後、1985年に除隊。その後は、豆腐や米麺を作って生計を立てていたが、今はそれも辞め、北部ハイズオン(Hai Duong)省で月260ドル(約3万1000円)の年金を頼りに質素な生活を送っている。

 終戦当時、全員が30歳未満だった390号戦車の乗員たちにとって、その後の生活は決して裕福ではなかったが、それでも貴重なものだったという。砲手だったゴー・シー・グエン(Ngo Sy Nguyen)さん(63)は1982年に除隊し、定年までハノイでバス運転手をしていた。操縦手だったグエン・バン・タプ(Nguyen Van Tap)さん(65)は除隊後、農業などで稼ぐわずかな給料で暮らしている。(c)AFP/Tran Thi Minh Ha