【4月25日 AFP】第1次世界大戦における連合軍とオスマン帝国軍との戦いで、連合軍が現トルコ西部の半島に初めて上陸した「ガリポリの戦い(Battle of Gallipoli)」から100年を迎えた25日、連合軍側に従軍して命を落としたオーストラリア・ニュージーランド連合軍、「アンザック軍団(ANZAC)」の兵士の追悼式典が、トルコの現地ガリポリ半島で営まれた。

 現在はアンザック湾(Anzac Cove)と呼ばれる上陸地点で夜明けとともに始まった恒例の追悼礼拝には、オーストラリアのトニー・アボット(Tony Abbott)首相らが出席した。

 第1次世界大戦中の1915年4月25日朝、連合軍は当時のオスマン帝国の首都コンスタンティノープル(Constantinople、現イスタンブール)を目指して進撃するため、ガリポリ半島への奇襲上陸作戦を決行。9か月に及んだ戦いによって、オーストラリア軍兵士約8700人、ニュージーランド軍兵士約2800人が、祖国からはるか離れたこの地で命を落とした。当時はまだ人口の少ない若い国家だった両国にとって、甚大な人的損失だった。

 この戦いが両国に英国とは異なる国家としてのアイデンティティーを芽生えさせたとして、オーストラリアとニュージーランドは4月25日を「アンザック・デー(Anzac Day)」と名付け、最も重要な国の祝日と位置づけている。

 ガリポリの戦いは、ドイツ軍の支援を受けたオスマン帝国軍の激しい抵抗に遭い、一般的には連合軍側の作戦の大失敗とみなされている。しかし9か月後の1916年1月、多大な犠牲を払った作戦自体とは対照的に連合軍側の最後の部隊はほとんど犠牲を出さずに撤退し、戦いはあっけなく終結した。

 死者数については諸説あるが、多くはオスマン帝国軍側を8万6000人、連合軍側は英国、フランス、ニュージーランド、当時の英自治領ニューファンドランド(現カナダ)の兵士とネパール山岳民族の戦闘集団グルカ兵を含めて4万5000人としている。(c)AFP