■間一髪で逃れた惨劇

 しかし、宇宙遊泳の成功直後には、一歩間違えば惨劇になりえた事態が発生した。レオーノフ氏は宇宙空間に漂っているうちに、人類初の宇宙遊泳を達成した陶酔感が直ちに不安に変わったと述べている。

 周回軌道は短時間のうちに太陽から遠ざかり、闇の中に入ろうとしていた。宇宙船内に戻る時間が近づいていたが、レオーノフ氏は着用していた宇宙服が気圧不足のため膨張し、変形していることに気付いた。そのままでは、宇宙船のエアロックに入れなくなる恐れがあった。

 レオーノフ氏は直ちに管制センターとこの事態について意見を交換し、酸素欠乏の危険を冒して宇宙服内の酸素を自ら抜き、膨張を抑えることを決断。どうにかしてエアロックに足からではなく、頭から入った。この困難な動作のせいで、同氏はわずか12分間の宇宙遊泳で汗だくになり、体重は6キロも減少した。

 しかも、このトラブルは序の口に過ぎなかった。船室に戻ると、チームは地球への自動帰還システムが正常に作動していないことに気づき、手動での帰還を余儀なくされた。レオーノフ氏は宇宙開発競争に関する自著で、帰還船と軌道船の分離失敗が原因で重力加速度が増し、激しく回転しながら高速で地球に落下していった様子を詳しく述べている。

 こうして地球には無事帰還したものの、着陸地点は予定のカザフスタンから2000キロ離れた、オオカミや熊が生息する雪深いウラル山脈のタイガ(針葉樹林)の中だった。「救出されるまで3日間、森の中で待った。旧ソ連のラジオは、私たちが地球への帰還後に休暇を取っていると伝えていた」とレオーノフ氏は笑った。救助隊はヘリコプターで運んできた大釜を雪で満たして加熱し、宇宙飛行士たちに熱い風呂を用意したという。レオーノフ氏とベリャーエフ氏は、米国より10週間早く人類初の宇宙遊泳を成し遂げた英雄として祖国に迎えられた。

 10年後の1975年、レオーノフ氏は旧ソ連と米国による初の共同宇宙飛行でソユーズ19号(Soyuz 19)の船長を務めた。このところウクライナ危機をめぐって再び冷え込んでいるロシアと米国の関係について、レオーノフ氏は厳粛で賢明なアドバイスを送っている。「宇宙飛行士の間に国境が存在したことはない。こうした考え方が、政治家の心に浸透する日が来れば、地球は変わっていくはずだ」(c)AFP/Marina LAPENKOVA