【3月28日 AFP】ラミズ・パシッチ(Ramiz Pasic)さん(64)が亡き父から受け継いだ遺産は、帽子2つと眼鏡、馬毛のブラシ、そして靴磨き職人としての名声だ。父親はボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(Sarajevo)市内で60年間にわたり靴磨きを続け、地元の伝説となった。

 道路清掃会社で働いていたパシッチさんは、定年退職したときに父との約束を守ることにした。2014年に83歳で亡くなる数か月前に交わした約束だ。「この場所が空いてしまうのは、もったいないだろう」と、父親はいつも自分が靴磨きをしていた路上について語った。「私たちはこの仕事を守るべきだ。約束してくれるか?」

 この会話を交わしたとき、父親はまだ健在だったため、パシッチさんはあまり深刻に受け取らなかった。「父は毎日歩いて仕事に行っていたし、道具一式が入った金属の箱を足元に置き、ブラシで強くたたいて、いつものように客を呼び込んでいた」とパシッチさんは振り返る。「それから磨き終わった後の、仕上げの一磨きのブラシさばきのスピード……。私には一生まねできないだろう。手が見えないほどの速さだった」

 パシッチさんの父親は「ミショおじさん(Cika Miso)」の愛称で市民から慕われたコソボ出身のロマ人で、本名はフセイン・ハサニ(Husein Hasani)さん。第2次世界大戦直後にボスニアに移り、靴磨きの仕事を始めるとすぐにサラエボ人の心をつかんだ。「最も悲しい出来事も笑いに変えてしまう」冗談好きな人だったと、息子はいう。

 ミショおじさんは1992~95年のボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、サラエボ包囲のときも、いつもと同じチトー元帥通りで靴を磨き続けた。今その場所にいるのは、息子のパシッチさんだ。