【2月17日 AFP】官能的なサンバのリズムに乗って体を揺らすとき、工藤めぐみさん(29)は、母・妙子さん(54)が20年前に阪神・淡路大震災で負った心の傷も癒やしている。一家の故郷、神戸の街が壊滅した震災だった。

 工藤家にとって、ブラジル・リオデジャネイロ(Rio de Janeiro)の今年のカーニバルは、特に感極まるイベントとなった。めぐみさんは15日、有名なサンバチーム「アカデミコス・ド・サウゲイロ(Academicos do Salgueiro)」のパシスタ(ソロダンサー)として、満員となったカーニバルの主会場サンボドロモ(Sambodrome)で踊った。

 めぐみさんにとってサンバの講師とコスチュームデザイナーでもある母親の妙子さんは、その姿を誇らしげに見守った。2人が初めて一緒に踊ったのは、もっと小さなチームだった。

■心の穴埋めた「サンバしませんか?」

「震災で、自宅はドアが開かなくなったりと、幸いにも家が全体的にゆがんでしまった程度でした」。めぐみさんが着るサウゲイロのコスチュームにビーズやスパンコールを縫い付けながら、妙子さんは静かな声で、1995年1月17日の記憶と震災後の心痛を吐露した。「暗い沈んだ気持ちがずっと続いていました」

 悲しみをまぎらわしてくれる何かを探していたとき、ふと目に留まった新聞広告が、サンバ教室の誘いだった。「サンバしませんか?」と書いてあった。「サンバのことはほとんど知りませんでしたが、何か楽しそうだなと思い、すぐ教室に電話をしました。自分だけ楽しんだら悪いと思って娘も連れていきました。初めて踊ってみると、震災の苦しいこと、寂しいこと、つらいことをそのとき忘れて、没頭できました」

 数か月後、神戸の姉妹都市リオデジャネイロから、150人のサンバダンサー一行がやって来た。「初めてブラジル人のダンサーを見たとき、動きがとても自然で、何より彼女たち自身が楽しく踊っていることが見ていて伝わってきました。サンバは本当に楽しいものなんだ、と」(妙子さん)

■母娘で育んだサンバへの思い

 妙子さんがサンバ教室を開き、コスチュームの制作も手掛け始めると、めぐみさんもサンバに夢中になった。「ブラジルに行きたいと娘が言った時、そんな決心をするなんて、すごいと思いました。当時はインターネットもなく、ブラジルの情報もよく分からなかったので、背中を押せたのかもしれません」と妙子さんは言う。「ブラジルから戻ってきた娘の踊りには、迫力、気持ちが出ていました」