「高級車運搬人」道路なき60年前を回想、ネパール
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■車を担いで山道を5週間
運搬人としての初日、ゴレさんの仕事は朝の5時に始まった。竹を結って車を乗せる台を作った後、ゴレさんたち63人の運搬人たちは輿(こし)を肩に担いで歩き始めた。厚手の木綿服を着込み、薄っぺらな草履を履いた運搬人たちは「さあ行け、さあ行け、前に進め」という掛け声を上げながら、険しい坂道を越え、急流を渡り、5週間近い旅路を進んだ。
「車を運転手に届けた後、運転手がエンジンをかけると、車が生き生きと動き出した。まるで誰かが魔法をかけているように見えたよ」とゴレさんは回想する。「坂を上ったり、川を渡ったり、急な曲がり道を進む際には、慎重に、そして安全に車を運ばなければならなかったよ。それでも楽しかった。皆若かったし友達だった。毎日が刺激的だったよ」
世界で最も隔絶された国の一つであり、しかも内陸国であるネパールは当時、近代的な交通手段ではほとんど行き着くことができなかった。その後数年にわたって車を運び続け、仕事と仕事の合間に数日間休むだけだったというゴレさんは、月に約25ルピー(約30円)を稼ぎ、そのおかげで孫の1人と一緒に暮らす現在の家を建てることができたという。
■運搬人が消えてからの60年
だが、カトマンズ渓谷とインド国境近くのビルガンジ(Birgunj)を結ぶトリブバン・ハイウエー(Tribhuvan Highway)が開通すると、車運搬人の仕事もなくなってしまった。ゴレさんは「道路ができたということは、もう俺たちを必要としなくなったということだよ」と話す。
その頃までにはラナ家も力を失ってしまったが、一方でチトラン村はほとんど何も変わらなかった。「学校もない、道路もない、医者もいない、トイレもない。支配者は私たちには何もしてくれなかったんだ」
そんな中、ネパール共産党毛沢東主義派(Maoist)の蜂起による10年にわたった内戦の後、ネパールがついに王政を廃して共和国となった2008年に行われた戦後初めての選挙で、ゴレさんは一票を投じた。
新しく誕生した共和国の憲法をめぐる合意形成に歴代政権が次々と失敗し、国中を失望感が覆う中でも、ゴレさんは国の将来を楽観視し続けている。「何でも前より良くなっているよ。電気も水も食べ物もある。しかも政府を気に入らなければ、辞めさせることだってできる。昔は何もできなかったんだよ」
これまで3度の結婚を経験し今は独り身のゴレさんは、覚えられないほど数多くのひ孫たちに恵まれ、毎朝早起きして山を散策するのが日課だという。車運搬人という仕事がなくなってから60年が経過し、かつて一緒に車を担いだ同僚たちは皆亡くなってしまったが、その間、ゴレさんが車に乗ったことは一度もなかった。
「王族たちにとって車は便利なものだったろうが、私には不要だった。車に乗りたいとは思わないし、家にいる方が幸せだよ。とにかく、そんな冒険に乗り出すには年を取り過ぎてしまった」(c)AFP/Ammu KANNAMPILLY