【12月9日 AFP】インド・ボパール(Bhopal)に住むチャンパ・デビ・シュクラ(Champa Devi Shukla)さんは、顔面が大きく変形した孫娘が生まれたときにこう思ったという──「絶対に死なせない」と。

「この子は役に立たないから殺してしまえとか、口の中にタバコを詰め込んでしまえという人もいた。でも、絶対に死なせないと思った。あの事故で息子3人を亡くし、もう誰も失いたくないと思った」とデビ・シュクラさんは当時を振り返った。

 1984年12月2日の深夜、マディヤプラデシュ(Madhya Pradesh)州ボパール市の空を有毒ガスの雲が覆った。直後に3500人が死亡し、長期的には最大2万5000人が亡くなったとされる史上最悪の化学工場事故だ。しかし、米化学大手ユニオンカーバイド(Union Carbide)の工場周辺に暮らしていた住民にとって、悲劇はそれだけでは終わらなかった。後に生まれた子どもたちの多くに先天性の異常が認められたためだ。

 正確な数字を把握することはできないが、現在廃墟となっている工場付近の通りでは、84年以降に生まれた子どもが幼くして亡くなったり、健康障害が生じたりしている家族が多い。しかし政府は、この子どもたちの問題と事故の関連を認めていない。現在補償を受けているのは事故当時にすでに生まれていた住民に限られている。

 デビ・シュクラさんは夫と息子3人を事故の夜に失った。娘のビディヤさんも毒煙を吸い込み体の一部がまひしたが、長年の理学療法で回復した。ビディヤさんに子どもができたことが分かったとき、一家は大喜びした。しかし、その先にはさらなる苦難が家族を待っていた。長男のスシル君は発育不全で18歳の今も身長は120センチ以下だ。次男のサンジャイ君は生後5か月で亡くなった。そして三女のサプナちゃん(13)には口唇口蓋裂という障害があり、3回の大手術を受けた。まだ鼻の再建手術が残っているが、将来は医師になりたいという。

 自分の家族の経験から、デビ・シュクラさんは健康に問題を抱える事故生存者の子どもたちのためのクリニック「チンガリ・トラスト(Chingari Trust)」の創設に協力した。ここでは現在、自閉症や難聴といった障害のある705人の子どもたちに勉強やスポーツを教えているだけでなく、理学療法や言語療法も提供している。

■工場汚染水

 同トラストの運営に関わるラシェダ・ビー(Rasheda Bee)さんは、疾患の多くの原因に「有毒な汚染水を飲んだ」ことが関係していることを確信している。きょうだいとめい3人が呼吸器系疾患で死亡していることもあり、トラストへの支援を決意した。日本で広島の原爆犠牲者の子どもたちに会い、その思いはいっそう強くなったという。

 ビーさんは医師ではないが、母親20人の母乳の検査にも関わった。半分は工場付近に住む女性たち、もう半分は街の反対側に住む女性たちだった。結果ははっきりと分かれた。半分の女性たちには異常はなかったが、工場周辺の女性たちの10人中9人の母乳からは高レベルの水銀が検出された。水銀は胎児の成長を阻害する。

 10年前の米国医師会雑誌(JAMA)に掲載された論文では、この有毒ガスにさらされた家族の元に生まれた男児は、市内の他の地域の男児に比べ身長が平均3.9センチ低かったと報告されている。

 補償の拡充を訴える国際人権団体アムネスティ・インターナショナル(Amnesty International)のサリル・シェティ(Salil Shetty)事務総長は、毒物汚染を示す証拠は明白だと語る。ボパール化学工場事故から30年の追悼式典に出席したシェティ氏は「我々は現在、親から次の世代に受け継がれる世代間での健康問題に取り組んでいる。長い年月をかけていくつもの研究が行われており、水質汚染があったことは明らかだ」としながら、事故以前から水や土壌の汚染が起きていたことさえ示されていると語った。

 デビ・シュクラさんによれば水道管は取り換えられたが、今では子どもたちさえもが怖がって水を飲まないという。(c)AFP/Christian OTTON