■再びサイクリストに

 引退してから約20年間、イノー氏は農場でシャロレー種の牛150頭の世話をしながら、ASOの活動に関わり、自転車に乗ることも少なくなっていたという。

「時間がなかったんだ。一年のうち360日は働いていたからね。残りの5日で自転車に乗ろうとは思わないさ」

 それでも数年前、イノー氏は牛を売り、近場で再び自転車に乗り始めたという。

「週2~3回、80~100キロこいでいる。遅くても、同じだけの喜びがあるんだ」

 イノー氏は、16歳のときに地元の大会で初めてスプリント勝負を制した日から、すべてのレースを覚えているという。

 また、ライバルだった米国のグレッグ・レモン(Greg LeMond)氏、フランスのローラン・フィニョン(Laurent Fignon)氏、そしてオランダのヨープ・ズートメルク(Joop Zoetemelk)氏についても、忘れたことはないという。

 ズートメルク氏は、ツールで6度の総合2位を経験、イノー氏も「最も苦しめられた相手」と話しているが、今は家族ぐるみで仲良くしているという。

 イノー氏とズートメルク氏は、オランダ領アンティルでお互いの家族と一緒に休暇を過ごしたり、ラルプ・デュエズ(L'Alpe-d'Huez)でオランダのテレビ局が主催するチャリティープログラムに参加したりしている。

「これがスポーツの神髄さ。午前9時に戦いを始め、午後5時に終わったら、7時からは一緒にご飯を食べながら笑う。そして、次の日も戦いは続くんだ」

(c)AFP/Frédéric HAPPE