■何の指令もなし

 東ドイツ国民による抗議行動はそれまで数週間にわたって続いており、その規模は膨れあがりつつあった。11月9日の夜も、検問所は警戒態勢にあった。しかしイエーガー氏は、新たな歴史が作られる夜になるという兆候は何もなかったと話す。

 午後6時に、仕事を終わらせて帰宅する上司から14人の部下を引き継いだ彼は、普段通りの勤務になるものと思っていたという。

 だが、食堂で夕食を取りながらテレビを見ていると、事態は急速に変化した。西側への旅行を許可する声明が唐突にテレビから流れたのだ。

 イエーガー氏が急いで持ち場に戻って事態を説明すると、同僚たちは最初、聞き間違いではないかと疑った。彼は、状況が明確になることを願って上司に電話をかけた。

 だが上司は「そんな馬鹿げたことのために電話してきたのか?」とぼやいて、国境を通過するために必要な旅行許可証を持っていない者は追い返すよう、命令を出した。

 検問所の外では、最初は少しずつ集まって来た人々の集団が徐々に膨らみ、「通せ!」との叫び声が上がり始めた。

 パニックになったイエーガー氏は再度上司に電話したが、「上から何の命令も受け取ってない。君に与える指示はない」と言われただけだったという。

 その後も群衆は膨らみ続け、午後9時ごろまでには国境検問所へと続く道が人で埋め尽くされた。

 イエーガー氏は再び電話を取り、「何かしなければ」と叫んだという。