どの編集者にも自身の限界点がある。アマルにとっての限界点は今年の夏だった。ガザ紛争で、死傷した多数のパレスチナ人の子供の映像を直視しなければならなかったときだ。

「この映像部で私たちは、手足がちぎれた子供の死体ががれきの中から引きずり出されるところ、両親が絶望の叫びを上げている場面を見ていた」と彼女は言う。「ここの大きなスクリーンで見ていたのに加え、アラブ諸国のテレビ局が流している画像も見続けていた」

「編集が進むにつれ、私たちの会話は減っていった。多数の子供の犠牲者が出ているというレポートの編集を終えたとき、同僚の1人は悲しみをこらえきれなくなった」

 パソスにとって最も耐え難かった写真は、シリアの反体制派が支配する地域から送られてきたものだった。シリアからも、亡くなったり重傷を負ったりした子供の画像が多く送られてくる。幼い子供がいる編集者には、特につらい。ついついわが子と重ねて見てしまうからだ。

「2年前に育休から復帰したとき、シリアからの写真はきつかった」と、パソスは振り返る。「3か月間、すべてが怖かった。けがをした子供、その目から痛みと恐怖が伝わってくる子供たちに、自分の子を重ねていた。母親になる前は、感情に流されることなく、こうした写真を見ることができた。でも最近はどうしてもできなくて、子供がいない同僚に頼むこともある」

 編集者たちはどうやって毎日を乗り越えているのか。「ニコシアの写真チームは結束力が強い」と、カバレロは言う。「気が滅入ってしまわないように、無駄話をしたり冗談を言い合ったりしながら仕事をしている。でも詰まるところ、これは私たちが選んだ仕事だ。衝撃的な写真を見るのに耐えられなければ、中東の写真エディターにならなければいい」

「私は、患者と一定の距離を置いて感情抜きで手術を行う外科医のように仕事をしている」と、ムロウエは言う。「最近は戦場の最前線にある病院にパラシュートで送り込まれた医者になったような気分もするが」

 昨年の夏、ニコシアのビデオ編集チームが、アジアの映像を担当する香港(Hong Kong)の支局を手伝ったことがあった。いい気晴らしになったと、エティエンネ・トーベイ(Etienne Torbey)は言う。「素晴らしかった。カルチャーやアート、動物園の動物など、私たちの地域でも扱いたい普通の日常のイメージに触れることができたのだから」

 職場で残酷な画像を見た後は、家でもそのイメージを引きずることがある。「突然、おぞましい写真がフラッシュバックする」と、カバレロは言う。

「ガザ紛争のときは毎日、憔悴(しょうすい)しきっていた」と語るのは、アマルだ。「家でくつろいだり、眠りにつくのさえ難しかった。頭の中で再生されている映像を止めることができなかった。でも家族には何も言わなかった。共有するにはつらすぎるイメージだ」

「中東にルーツをもつ私たちにとって、地域に非常に暴力的なイメージがあふれているのは本当につらい」と、エジプト系米国人のアマルは言う。「かつて栄華を誇っていた中東の文明社会がすべて崩壊し混沌と化している。紛争が収束したと思えばまた始まり、泥沼の宗派対立に陥っている。そこに光はまだ見えない」(c)AFP/Roland de Courson


この記事は、AFP通信のエディターのRoland de Coursonが書いたコラムを翻訳したものです。