■「経由地点」ではなくなったブンデスリーガ

 岡崎の活躍によって、マインツは日本市場での可能性を大きく広げており、これを受けてクラブも、本拠地コファス・アレーナ(Coface Arena)で日本語ガイド付きのツアーを開催するようになった。

 マインツのクリスティアン・ハイデル(Christian Heidel)監督も、「クラブは来年夏のアジア遠征を考えている」と話している。

「アジアでわれわれを紹介することに関心を持っている企業がいくつかあって、アジアで2、3試合を開催する契約を彼らと結んでいる」

 日本人で初めてブンデスリーガでプレーしたのは、1970年代にケルン(1. FC Cologne)に所属した奥寺康彦(Yasuhiko Okudera)氏。その奥寺氏のチームメートだったトーマス・クロート(Thomas Kroth)氏は、現在はアジア人選手の代理人として、ブンデスリーガに選手を送り込む手助けをしている。

 クロート氏は、「彼らはドイツを経由地点とはみなしていません。1990年代のブラジルの選手なんかは多くがそんな感じで、本当はスペインやイタリアでプレーしたがってましたけどね」と話した。

「彼らは仕事のためにドイツに来て、ここを家だと感じ、与えられた仕事をこなすことに集中しています」

 ブンデスリーガで活躍する日本人選手といえば、香川らのほかに、フランクフルト(Eintracht Frankfurt)の長谷部誠(Eintracht Frankfurt)を忘れてはならないだろう。

 日本代表で主将を務めた30歳の長谷部は、2007年に戦いの場をブンデスリーガに移すと、2009年にはVfLボルフスブルク(VfL Wolfsburg)でリーグタイトルを獲得した。

 現在ボルフスブルクでスカウトを務め、1993年から1997年にはJリーグでもプレーした元ドイツ代表のピエール・リトバルスキー(Pierre Littbarski)氏は、長谷部の日本での人気を物語る一件として、次のような逸話を紹介している。

 54歳のリトバルスキー氏は、「少しショックを受けたことがあります。マコトに会いに、日本のリハビリ施設を訪れたときです」と話した。

「その一画は、関係者以外は完全な立ち入り禁止になっていて、会うまでに1時間かかったんです。特別通行証を発行してもらわなくてはなりませんでした」

 長谷部と内田が日本で異様な扱いを受けている理由について、岡崎の説明は分かりやすい。

 岡崎は冗談めかしながら、「2人とも独身で、かっこいいでしょ。だからすごい人気があるんですよ」と話した。

「もし僕の顔が内田並みだったら、一面で使ってもらえる回数も、絶対にもう少し増えると思うんですけどね」

(c)AFP/Ryland JAMES