■2015年には日本にもテーマパーク

 世界的な大ヒットは、1990年代にアニメ「楽しいムーミン一家」が日本で放送されたことをきっかけに訪れた。それまで作品を読んでいなかった、あるいは読めなかった人々がムーミンに飛びついたのだ。このテレビアニメ以降、フィンランドのオリジナル版で見られた若干ダークで不気味な雰囲気は息を潜めることになった。

 現在、切手からジェット機のデザインまで、ムーミンをモチーフにしたものは数多く存在しており、「ムーミン産業」の市場規模は800万ユーロ(約11億円)と推定されている。

 2015年には、日本にも本国フィンランドと同様のムーミンのテーマパークが開園する予定となっている。ただ、このように活況を呈しているムーミン産業ではあるが、テーマパークに関しては、は2001年に他界したヤンソン氏が描いた当初の精神から離れてしまっているようだ。

「ヤンソン氏は自分と大人のために書いたが、ムーミンのテーマパークは子供向けにデザインされている。そこが大きく違う」と、フィンランドのテーマパークのマネジャーを務めるトミ・ロヒコスキ(Tomi Lohikoski)氏はAFPに語った。

 フィンランド国外で、ヤンソン氏が画家でもあったことはほとんど知られていない。彼女は画家が天職だと考え、自身については、ムーミンの物語をたまたま書いたアーティストと捉えていたようだ。そのため、ムーミンの世界的な成功には複雑な心境だったという。

「彼女はムーミンの商業化についてとても批判的だった」と、ヘルシンキ(Helsinki)にあるアテネウム美術館(Ateneum Museum)のキュレーター、トゥーラ・カルヤライネン(Tuula Karjalainen)氏は言う。ただ、その一方では「子供たちを楽しませることができて喜んではいた」と付け加えた。(c)AFP/Raine TIESSALO