【6月11日 AFP】1954年のサッカーW杯は中立国のスイスで開催され、第二次世界大戦終了後では初めての欧州開催となった。そして、大会は決着をつけるノックアウト方式に戻った。

 西ドイツが国際舞台に戻ったこの大会では、ウェンブリー・スタジアム(Wembley Stadium)で行われた親善試合でイングランドに6-3で歴史的勝利を収めていた、フェレンツ・プスカシュ(Ferenc Puskas)を擁するハンガリーが優勝最有力候補に挙げられていた。

 ハンガリーはグループリーグで韓国に9-0で圧勝すると、主力を温存した西ドイツに8-3で大勝した。

 準々決勝でのハンガリーは、ブラジルと醜い試合を演じた。試合後に「ベルンの戦い」と称された一戦は、ブラジルが2人、ハンガリーが1人の退場者を出した。試合はハンガリーが4-2でブラジルに勝利したものの、争いは試合後のロッカールームにまで及んだ。

 西ドイツと対戦した決勝でハンガリーは、試合序盤のプスカシュとゾルターン・チボル(Zoltan Czibor)のゴールで2点を先行し、その結果は目に見えているようだった。しかし、強い決意を持って試合に臨んだ西ドイツはそれから10分以内に同点に追いつくと、試合終了5分前にはヘルムート・ラーン(Helmut Rahn)が決勝点を挙げた。(c)AFP