【6月23日 AFP】今年4月に世界最高峰エベレスト(Mount Everest)で雪崩による死亡事故が発生した際、記者たちの取材が殺到したのは、かつてエベレスト登頂を世界で初めて達成したニュージーランドの登山家、故エドモンド・ヒラリー(Edmund Hillary)卿が「登山界のシャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)」と呼んだ90歳の女性だった。

 4月18日早朝に起きた雪崩はネパール人ガイドの一行を襲い、午後1時までに9人が死亡。最終的な死者数は16人に上り、エベレスト登山史上最悪の事故となった。

 エリザベス・アン・ホーリー (Elizabeth Ann Hawley)さん(90)は、ネパールの首都カトマンズ(Kathmandu)を拠点に、山岳ジャーナリストとして50年以上にわたり「世界の屋根」を舞台に繰り広げられた栄光と悲劇の数々を記録し続けてきた。

 そんなホーリーさんでも、人の死を記録することは今でも厳しい。「一番つらいことです…ただただ悲しい」。生涯をかけて取り組んできた仕事のおかげでいっぱいとなった本棚をかきわけ、重要なヒマラヤ登山の数々を記した数千ページ分の資料ファイルをあさりながら、ジャーナリストたちから相次ぐ問い合わせ電話の応対に忙しかった日々を振り返り、ホーリーさんはAFPの取材に語った。

 ホーリーさんは1923年11月9日、米シカゴ(Chicago)で、公認会計士だった父と女性参政権運動の活動家だった母の下に生まれた。ミシガン(Michigan)州の大学を1946年に卒業するとすぐさま、ニューヨーク(New York)のマンハッタン(Manhattan)に移り、米誌フォーチュン(Fortune)の調査員としての職を得た。

 だが、ほどなく旅の熱にとりつかれることになる。「ビジネスマンや政治家のプロフィールを調べて書くという仕事がほとんどだったから飽きてしまった」。その後数年間は「ランチはサンドイッチとアイスクリームだけ」という生活を送って貯金に励み、1957年に世界を見て回るべく旅に出た。

 旅路はフランスやドイツ、旧ユーゴスラビアを経てインドに至り、そこで出会った米誌タイム(Time)の支局長から、外国人の入国をようやく認めたばかりだったヒンズー教国ネパールを旅する間、同誌のために記事を書いてみないかと打診された。その頃には資金も底をつき始め、なによりその申し出は断る理由がないほど魅力的だった。「この場所が、とてつもない変貌を遂げていくということが当時の私には分かっていたし、それが私をひきつけた」