【6月3日 AFP】すり切れたコートを着て物乞いをする「ドブリじいさん」は100歳。「ドブリ」とはブルガリア語で「善」を意味する。貧困と腐敗で荒廃したブルガリアの善の象徴として既に「聖人」とあがめられている。

 本名ドブリ・ドブレフ(Dobri Dobrev)さんは20年以上、ブルガリアの首都ソフィア(Sofia)の街頭で物乞いをしてきた。これまでに受けた施しは何万ユーロ相当になるが、ドブリさんはそれをすべてブルガリア正教会に寄付してきた。黄金のドームを頂くアレクサンドル・ネフスキー大聖堂(Alexander Nevsky Cathedral)の最大の個人献金者はドブリさんだが、自分のライフスタイルはいたって質素なままだ。

「パンを少しちぎっていってください。神からの贈り物ですから」。ひげが長く伸びたドブリさんは背中を丸めて座り、プラスチックのコップに小銭を入れた人にそうつぶやきながら、別の誰かからもらったパンを差し出し相手の手にキスをする。

 大聖堂の評議委員長を務めるティホン司教(Bishop Tikhon)は「彼は快適さが一切ない暮らしをしながら、2009年には3万5700レバ(約250万円)をわれわれに贈った。ドブリさんは非常にまれな存在だ」という。

 もっと小さな修道院や教会も口々に2500~1万ユーロ(約35万~140万円)の間の額をドブリさんから寄付されたといっている。欧州連合(EU)加盟から7年経った今も欧州の最貧国から脱せず、平均月収がわずか420ユーロ(約5万8000円)というブルガリアで、この寄付は相当な額だ。

 あらゆる取材を断っているドブリさんの経歴は、ところどころしか知られていない。生まれたのは100年前、1914年の夏で、故郷はソフィアの東40キロのベイロボ(Baylovo)村だ。第2次世界大戦(World War II)中にソフィアが受けた爆撃で、聴力に障害が生じた。「それで信心深くなったんでしょう」とベイロボ村に住む、遠い親戚のエレナ・ジェノバさんはいう。「妻とまだ幼子もいた4人の子どもを残して街に出て、修道院周りで色々な仕事に就いたようです。この20年は施しを受けることに専念しているようです」。エレナさんは時々「ドブリじいさん」が集めた小銭を数えるのを手伝っている。

 ドブリさんが住んでいるのはベイロボの教会の隣の、ベッドとテーブルがあるだけの小さな部屋だ。この教会もドブリさんが寄付した1万レバ(約70万円)で改修された。ドブリさんがソフィアまで行くときは近所の人が車に乗せて行ってくれる。

 ブルガリアのメディアはドブリさんのことを「ベイロボの生ける聖人」と呼び、ドブリさんは約25年前に共産主義政権が崩壊して以降、信仰があつくなっているこの国の善の象徴となった。

 ドブリさんのファンたちは、インターネット上にウェブサイト「www.saintdobry.com」を立ち上げ、交流サイト(SNS)のフェイスブック(Facebook)にもドブリさんに関する二つのページを作った。ドブリさんを敬愛する人たちの間では、ドブリさんはいつか正式に聖人と認定されるべきだという声も上がっている。(c)AFP/Vessela SERGUEVA