■気遣いの男、セナ

 翌年のシーズンの終了後、情熱を使い果たした後のアデレード(Adelaide)でのことだ。百貨店のデビッド・ジョーンズ(David Jones)で私がフロアを降りていくと、そこにはなんと、この間まで慌ただしいシーズンの真っただ中だったはずのセナがいて、旅行かばんのコーナーでトランクの山に囲まれながら、頭を悩ませていた。

「やあ、また会ったね」。セナはそういって満面の笑みを浮かべた。「僕はいつもあんたの味方ってわけじゃない。でもあんたの書くことや、意見や、視点は尊敬してるんだ」。そして温かい握手と、もう一度温かい笑顔をくれた。「ところでジョ・シュ・アは元気かい」

 こうした思い出だけでも、セナの心の温かさがわかるというものだ。

「何してるんだ?こんなにトランクを集めて何をしようっていうんだ」と私は尋ねた。

 するとセナは、何人もの名前と靴のサイズが書かれた1枚の紙を差し出してきた。とても長いリストで、少なくとも75人以上の名前が書いてあった。それは、セナが作った団体で働く人たちの名前だった。セナはサンパウロ(Sao Paulo)の貧しく、恵まれない子供たちを助ける団体を設立していた。

「これくらいの大きいスーツケースがいるんだよ。団体のみんなにあげる靴を入れるにはね。靴は自分でここへ来て、自分で選びたいと思ったんだ。決まったらスーツケースに入れて、ブラジルへ送る。みんなが僕の選んだ靴を履くってわけさ」

 セナはもう一度笑った。自己満足からではなく、地球の反対側で働く同僚の喜ぶ姿を思って浮かんだ笑みだった。

 これはセナの生き方や、彼のものの見方を物語る単純なエピソードだ。こうした記憶のおかげで、人々は今なお、セナという人間を色鮮やかに思い出すことができる。彼は気遣いの男だった。(c)AFP/Tim Collings