【4月22日 AFP】仏パリ(Paris)のアラブ世界研究所(Institut du Monde Arabe)で、かつての長距離豪華列車、オリエント急行(Orient Express)の復元客車と蒸気機関車の展示が行われている。

 約130年前の1883年10月4日にコンスタンティノープル(現イスタンブール、Istanbul)に向けて、パリのストラスブール駅(Gare de Strasbourg、現パリ東駅)を発車した開通第1号列車とたがわぬ姿で、汽笛を鳴らし、シュッシュッと音を上げている。

 世界で最も称賛を集めた豪華列車だが、特別展の急行に行先はない。郷愁を呼び起こす汽笛や走行音は、録音されたものだ。


 それでも、来場者は車内に一歩足を踏み入れた瞬間から、かつて極上の旅の同義語とされ、アガサ・クリスティ(Agatha Christie)やグレアム・グリーン(Graham Greene)ら英国の作家たちに小説の着想を与えたオリエント急行の世界に完全に引き込まれる。

 内装は木製パネルで仕切られた個室や食堂車など、全て列車の最盛期そのままに再現された。テーブルには当時の新聞やトランプ、たばこが置かれている。

 欧州の都市の多くの人々がまだ極貧に近い生活を送っていた当時、オリエント急行の乗客は暖房、お湯が出る洗面台、ガス灯が完備した客室で贅沢な時を過ごしていた。

 当初はオーストリア・ウィーン(Vienna)やハンガリーのブダペスト(Budapest)、ルーマニアのブカレスト(Bucharest)を経由する週2回の運行で開始されたが、一時はトルコのアンカラ(Ankara)、イラクのバグダッド(Baghdad)、エジプトのカイロ(Cairo)といった都市まで路線が延びた。

 だが数十年の間にしばしば路線は変わり、ついには航空機と高速列車を組み合わせた安価な旅に、乗客を奪われることになる。パリーイスタンブール間の直通列車は1977年が最後となった。その後、運転区間は徐々に短縮され、ストラスブールーウィーン(Vienna)間の夜行列車となっていた2009年に廃止された。

 現在、オリエント急行はブランド化し、その商標権は、運行開始当時のプルマン車両7両をッ保有するフランス国鉄(SNCF)の下にある。(c)AFP/Helen ROWE