【4月3日 AFP】イエス・キリスト(Jesus Christ)が最後の晩餐(ばんさん)で使用した伝説の聖杯が、スペインの教会で発見されたとする主張に対して、歴史家たちが疑いを抱いている。

 レオン大学(Leon University)で中世史の講師を務めるマルガリータ・トレス(Margarita Torres)氏と美術史家のホセマヌエル・オルテガ・デルリオ(Jose Manuel Ortega del Rio)氏は先週、スペイン北西部レオン(Leon)のサン・イシドロ(San Isidro)教会にある杯が聖杯であるとする著書「Kings of the Grail(聖杯の王たち)」を発表した。

 この杯はレオンの王、フェルナンド1世(Fernando I、1037~1065年在位)の娘、インファンタ・ドニャ・ウラカ(Infanta Dona Urraca)の杯として知られていたもので、杯があるサン・イシドロ(San Isidro)教会には大勢の見物客が詰めかけている。

■「聖杯は12世紀に作られた伝説」

 だが歴史家たちは1日、聖杯は伝説であり、実際に飲み物を入れる器ではないと否定した。

 マドリード自治大学(UAM)の中世史家、カルロス・デアヤラ(Carlos de Ayala)氏はAFPの取材に「聖杯伝説は12世紀の文学的な発明で、何の歴史的根拠もない。存在しないものを発見することはできない」と語った。

「中世史家は通常、聖杯伝説を歴史的なものとしてではなく象徴として理解しているものだ」と、スペイン科学研究高等会議(CSIC)の中世芸術史の研究者、テレス・マーティン(Therese Martin)氏は語る。

「もしかしたら新著はこれまで知られていない新たな事実を明らかにしているのかもしれない」「だが、たとえインファンタ・ウラカがこの太古の杯を聖杯だと信じているのだとしても、現代においてそのような説を支持するのは困難だろう」とマーティン氏は述べた。

■「エルサレムから盗み出された」と著者ら

 トレス氏はこの杯がファーティマ朝(Fatimid Caliphate)によってエルサレム(Jerusalem)から盗まれ、カイロ(Cairo)に運ばれたものだと主張している。

 1054年にエジプトに飢饉(ききん)が発生したとき、スペインの首長が王朝に食料を送り、その見返りとしてこの杯の譲渡を求めた。その首長がキリスト教徒の王、フェルナンド1世に和平の印として杯を渡したという。

 トレス氏とオルテガ氏は、聖杯とされる杯が欧州だけでも200個あることを認めている。だが、オルテガ氏は「それらは全て、この(杯の)ような明確な根拠に基づいていない」と語った。(c)AFP/Roland Lloyd Parry