【6月11日 AFP】ここ数十年で最高のプレーヤーの一人に挙げられる選手に、元イタリア代表のロベルト・バッジョ(Roberto Baggio)がいるが、W杯に通算3度出場しながら、最後まで優勝をつかむことはできなかった。

 その髪形から「偉大なるポニーテール」の名で知られ、現役中に仏教に帰依したバッジョは、その創造的な才能で、歴代のイタリア代表指揮官に頭の痛い思いをさせてきた。

 1967年にカルドーニョ(Caldogno)で生まれたバッジョは、1982年にセリエCのヴィチェンツァ(Vicenza Calcio)でキャリアをスタートさせ、15歳でプロデビューを飾った。それから間もない1985年、セリエAのフィオレンティーナ(Fiorentina)に引き抜かれると、その才能はより多くの人々の目に留まるようになっていった。

 卓越したバランス感覚、ボールコントロールの技術、そして思い通りにゴールを決める得点能力を武器に、バッジョはすぐさま代表入りを果たし、1990年のW杯イタリア大会の2年前には、イタリア最高の選手であると広く認知されるようになった。

 そしてW杯が始まると、序盤の数試合でその評価は実証されたかにみえ、イタリアが楽々と準決勝へ勝ち進むなかでバッジョも全試合に出場した。

 準決勝までに、バッジョは1得点を挙げていた。その得点は、グループリーグのチェコスロバキア戦で生まれたもので、ハーフウエーラインでボールを受けたバッジョが、タックルを狙う相手選手を連続でかわして決めた華麗なゴールだった。

 ところがアルゼンチンとの準決勝で、バッジョはどういうわけか先発から外され、アゼリオ・ビチーニ(Azeglio Vicini)監督は代わりにジャンルカ・ヴィアッリ(Gianluca Vialli)を起用した。

 イタリアがPK戦の末に敗退したことを考えれば、これは致命的な過ちだったが、しかし、さまざまな点において、バッジョのキャリアにおける典型的な出来事だった。バッジョはキャリアを通じて、比較的に守備を重視する監督からは、大きな信頼を勝ち取ることができなかった。