【2月4日 AFP】シリアの首都ダマスカス(Damascus)のヤルムーク(Yarmuk)・パレスチナ難民キャンプでは、潜伏する反体制派を追い出すための政府軍による懲罰的な封鎖が7か月にわたり続き、2万人近くの住民が飢えに苦しんでいる。

 シリア当局とヤルムークのパレスチナ人側との数か月にわたる交渉の結果、一部住民は退去を許されたが、その数はごく少数にとどまっている。子ども2人を連れての退去を許されたフルード・シェハブさんは、AFP記者に対し「(キャンプ内は)悲惨な状況。人々は文字通り、飢えで死んでいる」と語った。シェハブさん一家は生き延びるために「家の近くに生えていた草やサボテンをゆでて」食べていたという。

 また、インターネットを通じて取材に応じた住民によると、多くの人たちが野良犬や野良猫を食べ、一部の女性は最後の手段として食料と引き換えに売春をしている。

 ネット電話サービスのスカイプ(Skype)を通じてAFPの取材に応じたヤルムークの住民、アリさんは「ここにいる多くの人が犬や猫、それにロバまでも殺して食べている」と語る。「ある男性は犬を殺したけれど、食べる肉は見つけられなかった。犬も飢えているからだ」。「状況はあまりに絶望的で、女性たちはコメやブルグアの1カップを得るために、封鎖前に食料を蓄えた男性たちに体を売っている」

■封鎖されたヤルムーク

 1950年代にパレスチナ難民キャンプとして始まったヤルムークは、その後数十年かけて、約15万人のパレスチナ人とシリア人とが共に暮らすにぎやかな商業・住宅地区へと発展。2012年にシリアの騒乱がダマスカスに到達すると、市内各地からヤルムークに大勢の人が流れ込み、人口はさらに増加した。

 だがまもなく、反体制派の武装したシリア人たちがキャンプ内に入り込み、ヤルムークも戦闘地域になった。パレスチナ人の一部は反体制派武装勢力に参加し、一部は政権側のグループを支持した。

 昨年6月にはシリア軍が2平方キロメートルに広がるヤルムークを完全封鎖。既に住民の大半がキャンプ外へ避難していたが、国連(UN)によれば民間人1万8000人がヤルムークに取り残された。