【1月2日 AFP】イラン南東部ケルマン(Kerman)州バム(Bam)を大地震が襲ったのは、約10年前のこと。専門家たちは地震で破壊されたバム遺跡の復元に努めてきた。かつてイランが誇る遺跡として世界から注目を集めていた頃の栄華は取り戻せないかもしれないが、できる限りの復元に希望を抱いている。

 首都テヘラン(Tehran)から南東へ1000キロ。砂漠の中のバム遺跡は、日干しれんがの遺跡として世界最大の規模だった。しかし2003年12月26日、約3万人もの人々が犠牲になった大地震に見舞われ、遺跡はがれきと化してしまった。

「バムが完全に復元されることはない」と、再建プロジェクトのマネジャーを務めるアフシン・イブラヒム(Afshin Ebrahimi)氏は言う。

 バム遺跡の起源は紀元前6世紀にまでさかのぼるが、その最盛期は7から11世紀。東西を結ぶ交易路、シルクロードとその他の交易路が交差する要衝として栄えた時代だ。

 地震から約10年。復元されたのは、巨大遺跡の一部のみ。まだ足場や外壁などを支える木材が多く残り、外壁には大きな穴も見える。

「私たちは震災前と同じ状態に戻そうとはしていない。そんなことは無理だ」と、イブラヒム氏はAFPに語った。「あの地震は私たちの歴史の一部だ」と言う彼によれば、復元する部分もあるが、それ以外の場所は、過去の災害を記憶しておくためにも安定化させるだけにとどめておくという。

 イラン人の専門家やフランス、ドイツ、イタリア、日本から支援にきた人々20人とともに、毎日100人以上が遺跡の復元のために働いている。日本は国連教育科学文化機関(UNESCO、ユネスコ)を通じて50万ドル(約5300万円)の資金援助や、復元作業に必要な機器の供給も行ってきた。

 イブラヒム氏は、遺跡の復元によってバムに観光客が戻ってくることを期待する。ユネスコはバムの修復・保全活動への取り組みを評価し、「危機にさらされている世界遺産リスト」から外した。

 バムで観光業に携わるアクバル・パンジャリザデさんは、遺跡見学のために10から15台の観光バスが連なって駐車している光景を夢見る。だが今のところ、彼が世話する客は週に10人ほど。10年前の半数にすぎない。(c)AFP/Cyril JULIEN