【10月18日 AFP】イタリアのローマ(Rome)で先週100歳で死去したナチス(Nazi)戦犯、エーリヒ・プリーブケ(Erich Priebke)受刑者の遺体の引き取り先が決まらず、埋葬できない状態となっている。

 第2次世界大戦(World War II)中にナチス親衛隊(SS)の将校だったプリーブケ受刑者は、1944年にローマのアルディアティーネ洞窟(Ardeatine Caves)でユダヤ人75人を含む335人が虐殺された事件に関与したとされ、戦後に逃亡したアルゼンチンから95年にイタリアへ引き渡された。98年に終身刑の判決を受けたが、高齢のためローマ市内の担当弁護士宅で拘禁されていた。

■法王庁が教会での葬儀を禁止、ひつぎに唾も

 11日にプリーブケ受刑者が亡くなると、ローマ法王庁(バチカン)はローマ市内のカトリック教会での葬儀を禁じる異例の禁止令を出した。イタリアにあるドイツ軍墓地への埋葬も、戦時中の死者ではないため拒否された。

 折しもローマ市は、1943年に市内のユダヤ人居住区からユダヤ教徒の市民1000人以上がナチスに連行され、うち16人しか生還しなかった事件から16日で70年目を迎えようとしていた。追悼式ではイニャツィオ・マリーノ(Ignazio Marino)市長が「(同じく)虐殺に積極的に関与した人物の葬儀を認めることはできなかった」と述べた。

 こうした背景を受け、15日に超保守派のカトリック団体がローマ近郊で行おうとしたプリーブケ受刑者の葬儀には数百人が抗議に集まり、「暗殺者」などと叫んで霊柩車を蹴ったりつばを吐きかけたりして混乱が起きた。抗議デモ参加者と、集会を開こうとしたネオナチ信奉者が衝突したことから警察が葬儀の中止を命じ、ひつぎは車で運び去られた。伊ANSA通信によると、ローマ近郊の空軍基地に保管されているという。

■ドイツ、アルゼンチンでも受け入れ拒否

 ローマ県のジュゼッペ・ペコラーロ(Giuseppe Pecoraro)知事は16日、プリーブケ受刑者の出身国であるドイツ当局に接触を図っていると述べたが、ドイツ外務省報道官は「非公式な接触のみ」で、遺体をドイツに送還したいという「正式な要請はイタリア側から受けていない」と述べている。

 またプリーブケ受刑者の出生地である独ベルリン(Berlin)郊外ヘリングスドルフ(Hennigsdorf)の市長報道官は独rbbラジオに、遺体の受け入れを拒否すると語った。

 プリーブケ受刑者自身はアルゼンチンにある妻の墓の隣に葬られることを望んでいたが、アルゼンチン政府が遺体の受け入れを拒んでいる。政府や自治体が拒否する理由の1つには、埋葬場所がネオナチ信奉者の「聖地」となる可能性を恐れていることがある。

 イタリアの法律では、遺体の扱いに関する決定は直系の相続人が下さなければならない。しかしANSA通信によれば、米国とアルゼンチンに住む息子2人はイタリア当局に自分たちの意思について連絡もしていないという。

■「遺言ビデオ」に謝罪も悔悛もなし

 一方、プリーブケ受刑者の弁護を担当したパオロ・ジャキーニ(Paolo Giachini)弁護士は17日、同受刑者の「遺言ビデオ」を公開した。アルディアティーネ洞窟での虐殺に関する謝罪や悔悛の言葉は一切なく、抵抗し殺害されたイタリア人パルチザンの非を責めさえする内容だった。

 1944年に起きたアルディアティーネ洞窟でのナチスによる虐殺は、ドイツ軍兵士33人をパルチザンが殺害したことに対する報復だった。ナチスは殺されたドイツ軍兵士1人につきイタリア市民10人を殺害。さらに洞窟に迷い込んだ5人も含め、計335人を殺害した。

 プリーブケ受刑者は訛りの強いイタリア語で「彼ら(パルチザン)は、報復があることを分かっていて(ドイツ軍を)攻撃した。われわれ(ナチス)による報復が、革命の引き金になると思っていたのだ」と語っている。

 また処刑の命令はナチスの総統アドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler)から直接下されたもので、拒めば自分が撃たれる側になり「非常に恐ろしいことだった」とは述べたが、犠牲者の遺族らへの謝罪の言葉はなかった。(c)AFP/Dario THUBURN、Eleanor IDE