■立ち退きを強いられている地元住民

 ところがこの新しい国立競技場は、甚野さんが営むたばこ販売店と自宅がある都営霞ヶ丘(Kasumigaoka)アパートにかぶさる形で建てられる予定となっている。

 都営団地である霞ヶ丘アパートは、1963年に現在の国立競技場から少し離れた場所に設営された。甚野さんは1964年に元々住んでいた場所を追いやられた後、1966年にこの霞ヶ丘アパートに引っ越してきた。

 全体で200世帯ほどが住んでおり、そのうちの3分の1が70歳以上の老人。それでも再開発のために住民は、都から他3か所の都営住宅への引っ越しを強要されている。

 老人にとって、新しい土地で新しい関係を築くことは難しいと甚野さんは語る。

「おそらくたばこ屋ができない所に行くんでしょう。そうすれば生きがいが無くなってしまう」

 また、甚野さんは公費について、五輪開催よりも、2011年東日本大震災の影響を受けた東北地方の被災者のために使ったほうが有効だと考えている。 「年に何回しか使わない競技場を維持するために、何十年もの間、いっぱい税金を注ぎ込んできたが、また大金をかけて作るんだということは、すごく腹立たしく思っています」  東京都は、五輪開催が被災地の復興や、被災者の精神面にとっても後押しになると主張してきた。

 1万8000人が犠牲となった大震災から2年半たった今、原発の事故などの影響もあり、未だ29万人もの人が避難生活を強いられている。

 震災で海辺の自宅を追いやられ、福島第一原発から60キロメートルに位置する福島市で避難生活を送っている86歳の森国行(Mori Kuniyuki)さんは、河北新報(Kahoku Shimpo)からの取材に対し、「7年後の五輪より今の生活を何とかしてほしい」と語った。(c)AFP/ Shigemi SATO