【9月8日 AFP】コンゴ民主共和国(旧ザイール)の反政府武装勢力「M23(3月23日運動)」が、政府軍との激戦地となった同国東部・北キブ(North Kivu)州の州都ゴマ(Goma)から撤退したが、その後も学校爆破が続くなど市内には依然、恐怖が色濃く漂い、経済も滞っている。

 政府軍と新たに派遣された国連軍の攻撃によって、1年4か月にわたってこの地域を恐怖に陥れたM23が、ゴマ周辺の丘陵地帯の拠点から撤退したとのニュースを今週、住民たちは喜びと共に迎えた。しかし今もゴマの生活は、平常時のものからは程遠い。

 2日のはずだった学校の新年度の始業日は1週間、延期された。北キブ州では推定100万人が自宅を離れ避難しており、その多くが学校に仮住まいしているため事態が混乱しているからだ。同州にある中高等学校、マシマンゴ主教学院(Institut Monseigneur Masimango)の副院長、ユージーン・ムタバジ(Eugene Mutabazi)氏によれば、状況はさらに深刻だ。

 同校では2棟あった校舎のうち1棟が爆破され、女子生徒1人が死亡、他2人が負傷した。校舎跡には爆弾の金属片だらけとなった壁1枚が立っているだけだ。「残った教室もダメージを受けていて、あちこちにひびが入っており、生徒たちの上に崩れてきそうで危険だ」という。さらに夜、学校で寝泊まりしている避難民たちによる衛生問題も懸念されるという。

 市内の店は再開し、客足は戻ってきているが、商売自体は苦戦している。ゴマ市内のマジェンゴ(Majengo)地区の市場では、表側に並ぶ露店の棚は商品でいっぱいだが、場内の店にはほとんど品物がない。主要な供給ルート上に位置する市北部に戦闘の最前線があったため、流通が途絶えてしまったからだ。このままでは商売が立ち行かないという声が、そこかしこから聞こえる。

 昨年11月にはM23が12日間にわたり、ゴマを制圧した時期もあった。住民の多くは、ゴマ周辺での戦闘で心身を傷付けられている。周辺地域からゴマ市内に逃げ込んだ避難民の数は数万人に上り、ゴマの人口は今や100万人に達している。しかし政府軍の新たな攻撃と、介入した国連軍の到着によって、M23はゴマ市の北郊約30キロまで後退した。

 最近まで前線だったゴマ北方7キロにあるKanyarucinya村から避難してきた大工のオリビエ・ビエンダさんは、もうM23は戻って来ないと安堵している。一度村へ戻ったときに行った戦場跡で、M23の戦闘員の遺体を見たという。

 一方、学生だという18歳のヨセフさんは、そう希望を確信できないでいる。8月末以来、隣国ルワンダが国境沿いの軍備を増強させているのが心配だと語る。国連は、ルワンダ政権指導層と同じツチ人が戦闘員の多くを占めるM23を、ルワンダが支援していると非難しているが、ルワンダ政府はこれを断固として否定している。

 ヨセフさんは「ルワンダがM23と一緒になって、コンゴ軍と戦っている間に犠牲となるのは僕たちだ。コンゴ政府は戦えるように軍を強化すべきだ。M23は撤退はしたけれど、まだコンゴ国内にいる」と述べた。(c)AFP/Stéphanie AGLIETTI