【9月8日 AFP】米アカデミー賞などを受賞したアニメーション映画の巨匠、宮崎駿(Hayao Miyazaki)監督(72)が6日、都内で記者会見を開き、長編映画制作からの引退を発表した。

 宮崎監督は引退を決意した理由として、年々仕事のペースが遅くなり、また年齢的な体力の衰えで、大規模な商業映画の制作に要求される作業が厳しくなったと述べた。

 会見には、国内外からテレビ局のカメラ70台を含む報道陣約600人が集まった。宮崎監督は冒頭、「僕は何度もやめると言って騒ぎを起こしてきた人間なんですが、今回は本気です……僕は自由です。やらない自由もあるんです」と述べた。

 キャリアを振り返り「映画作るのに死にものぐるいで、それ(引き際)どころではなかった…映画になるのか、値するのか、のほうが重圧でした」「終わりが分かっている作品を作ったことはなく、スケジュールに追われてつらかった」などと語った。

 また最近は絵コンテを描くのが遅くなり、若かったころのようには仕事ができないと述べ、「あと10年は仕事は続けますが、いままでの延長上にはないと思います。私の長編アニメーションの時代は終わったんだ。作りたいと思っても『年寄りの迷い』だと思っています」と語った。

■世界から称賛を浴びる

 宮崎監督は1963年にアニメーターとして東映動画に入社し、キャリアをスタートさせた。以降、「アニメ」の世界で精力的に作品を発表。世界中の観衆の心をつかんで称賛を浴び、同時代に並ぶ者がいないといわれるほど商業的にも芸術的にも大きな足跡を残した。

 映画初監督作品は『ルパン三世 カリオストロの城』(1979)。国際的に最も有名な作品は『もののけ姫』(1997)と『千と千尋の神隠し』(2001)で、すでに国内で得ていた高い評価が世界に広がった。

 中でも『千と千尋の神隠し』は、日本のアニメーション映画として初めて米アカデミー賞の長編アニメーション映画賞を受賞した他、ベルリン国際映画祭(Berlin International Film Festival)ではアニメーション作品として初めて最高賞である金熊賞(Golden Bear)を受賞するなど、内外の主要な賞を獲得した。

 その間の1984年には、カルト的な人気を誇る『風の谷のナウシカ』を発表。翌年には宮崎映画の発信地となる「スタジオジブリ(Studio Ghibli)」を設立している。最新作『風立ちぬ』(2013)は公開後7週間で、累計観客動員約750万人、興行成績92億3000万円を記録している。

 今後については、引退は宣言するものの土曜日以外は、夫人が作ってくれるお弁当を持って毎日スタジオには通い続けたいと語った。(c)AFP