【8月8日 AFP】モスクワ(Moscow)の赤の広場(Red Square)に面してクレムリン(Kremlin)の向かいに建つ巨大百貨店グム(Gosudarstvenny Universalny MagazinGUM)には旧ソ連時代、ルーマニア製のブーツや東ドイツ製のブラジャーなどを買い求める人々が列を成していた──120周年を迎えた現在、そこは旧ソ連時代のノスタルジーが漂う高級デパートになっている。

 3列に並んだクリーム色の建物の間に延べ1万6000平方メートルのガラス天井を抱くアーケードになっているグムは、帝政ロシア時代の1893年12月2日、クレムリンの向かいにオープンした。名前は総合百貨店を意味する。

■高級品市場の成長

 公式な120周年までにはまだ数か月あるが、すでに色々な祝賀イベントが始まっている。皮切りは「クリスチャン ディオール(Christian Dior)」のファッションショーだった。赤の広場の「レーニン廟(びょう)」横に特設された、未来的な大型テントの中で行われた。ディオールは1959年にグムを訪れ、広告用のモデル撮影を行った歴史もある。

 国営の店舗が並ぶ質素な面構えだったグムには、時の流れの中、やがてバーバリー(Burberry)やカルバン・クライン(Calvin Klein)、グッチ(Gucci)などのロゴが踊るようになった。ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)のブティックの窓には、クレムリンの赤れんがの壁が映り込んでいる。 「(現在の)主なビジネスパートナーは高級ブランド」と、グムのティムール・ググベリゼ(Timur Guguberidze)社長は語る。「しかしグムはソ連時代に再建されたので、その時代のことも忘れないようにしている」

 そうした願いを象徴するのが、2008年にリニューアルオープンした高級スーパーだ。24時間営業のこのスーパーでは、国産のウオツカやキャビアに加え、イタリア産の肉やフランスのシャンパンやチーズを購入できる一方で、旧ソ連時代の人気商品を買うこともできる。グラス単位で売られていた梨味のレモネードや、3リットル瓶に入ったバーチジュース(カバノキの樹液の飲料)、ウエハースのカップに入ったアイスクリームなどだ。 「現在の経営陣は1950年代の主力店舗の伝統を再興し、旧ソ連時代へのノスタルジーを刺激する方針を決めた」と、建築史家のデニス・ロモディン(Denis Romodin)氏は説明する。

 この戦略は成功している。3フロアに計400以上の店舗、カフェ、映画館が収まるグムには、年間1500万人が訪れている。赤の広場の隣という立地も客の呼び込みに効果を及ぼしている。

 ググベリゼ社長は「わが国の主要な観光地区にあることとユニークな建築、そして歴史的に重要な価値があることから自然と、ロシアで2番目の観光スポットになっている」と語った。

■ロシアの歴史と歩んだデパート

 具体的な数値は発表されていないが、国から2042年までのグムの借用権を得ている「ボスコ・ディ・チリエジ(Bosco di Ciliegi)」社は、グムは収益力が高いという。

 また商業的成功のみならず、「19世紀末以降の技術的進歩や過去20年間の変革など、グムは常にロシアの歴史を反映してきた」とロモディン氏は語る。

 建築家アレクサンドル・パメラーンツェフ(Alexander Pomerantsev)が仏パリのアーケードと伊ミラノの「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(Galleria Vittorio Emanuele II)」を模して設計し、1893年にオープンしたグムは、帝政ロシア時代の最高の建物とされ、シルクや香水、高級食材を販売したことでヨーロッパでも評判を集めた。

 1920年代初頭、ロシア革命の指導者ウラジーミル・レーニン(Vladimir Lenin)は、国をひどい不況から救うための資本主義への妥協として、新経済政策(ネップ、NEP)の中でこの百貨店に再び息を吹き込み、グムという名を付けた。だが、1930年代には独裁者ヨシフ・スターリン(Joseph Stalin)がグムを閉鎖。建物は事務所や官僚の宿泊施設として使われた。政府は何度か建物の解体を決定したが、実行に移されることはなかった。第2次世界大戦(World War II)末期、ナチス・ドイツ(Nazis)が降伏した際には、ラジオアナウンサーのユーリ・レビタン(Yury Levitan)がグムの中から有名な放送を行った。

 ソ連政府がグムの百貨店としての復活を決めたのは、スターリンの死後、1953年だ。記録的な速さで改修されたグムは、同年12月24日に再開した。ロモディン氏によれば、40年の間にすっかり様変わりしていた内部を50日間で壊し、ゼロから始めなければならない大変な作業だった。

 グム再開の前日、スターリン時代にグム内に事務所を構え、大粛清を行った秘密警察の長官たちの1人、ラブレンチー・ベリヤ(Lavrenty Beria)が射殺された。これはその後、最高指導者となるニキータ・フルシチョフ(Nikita Khrushchev)による非スターリン化の始まりだった。

 再オープンしたグムはモスクワ市民の人気スポットとなり、他の場所では入手困難なランジェリーや化粧品といった輸入品を買い求める人々の列が出来た。

 グムの食料品店のある販売員の女性は、旧ソ連時代の末期、ソーセージやバナナを買うために人々が列を作っていたことを振り返る。「ここでは他の店で手に入らないものがあったし、地方から来た人には何なのか見当すらつかないものも買えた」

 旧ソ連崩壊後、人々はまたグムに列を作ったが、その時にオープンしたのは欧米の中流向け店舗だった。現在ではそうした中流向け店舗は姿を消し、最高級ブランドの店舗が軒を連ねている。(c)AFP/Germain MOYON