【8月3日 AFP】この数日間、死の床に着いた母親パトリシアさん(84)に付き添いながら、思ったことをマイクロブログのツイッター(Twitter)にリアルタイムで投稿してきた米公共ラジオ局NPRNational Public Radio)の人気司会者スコット・サイモン(Scott Simon)氏(61)は、米国の大きなタブーに挑戦していると言える。

 人が死ぬ過程は極めて私的な出来事で、公にするものではないというのが米国の社会通念だが、サイモン氏は思ったことや感じたことを、自身のツイッターをフォローする126万人、さらには世界中の人々と、自由に共有することを選んだ。140字程度のアルファベットの中で、サイモン氏はシカゴ(Chicago)市内にある病院の集中治療室の看護士たちをたたえ、母親の最期の名言を伝え、病室やその窓から見える街並みの写真を投稿した。そして先月29日、ついにパトリシアさんの生が死に道を譲ったまさにその瞬間も、「心拍数が落ちていく。心が落ちていく」と書き記した。

 パトリシアさんが亡くなった後もツイートは続いている。翌朝には「朝起きて気づく。夢じゃなくて、本当に起こったことだったんだ。昨夜の涙がなかったかのように、また泣いた」と投稿。さらに、「娘たちにも話した。一番上の子はまったく動じず、一番下の子は泣きじゃくった。でも夜遅くになっても泣いていたのは、どっちだか分かるだろう」とも発信した。

 ツイートは今週さらに続き、火葬場のスタッフやパトリシアさんの遺品のかつら、郵便物の配達の止め方などについて軽い冗談も書いた。「ひとつの人生の後にはなんとたくさんのがらくたが残るんだろう」

 母の死と向き合ったツイートに対し、ワシントン・ポスト(Washington Post)やロサンゼルス・タイムズ(Los Angeles Times)など新聞各紙のウェブサイトには、大絶賛から率直な憤りまであらゆる感想が寄せられた。

 サイモン氏による悲しみのリアルタイム発信は、ソーシャルメディアがあらゆる場面に存在していることだけでなく、米国のベビーブーム世代にとって「残り時間」は文字通りわずかだという動かしがたい人口統計学的事実を示している。

 米国勢調査局(US Census Bureau)によれば、1946年から1964年に生まれた米国のベビーブーム世代は2012年で7640万人おり、全米人口の約4分の1を占めている。サイモン氏もこの世代だ。しかしベビーブーム世代も、最も若い1964年生まれが96歳に達する2060年にはわずか240万人まで減り、人口全体の0.6%となる。その間、ベビーブーム世代やその子どもたちは、年老いた親や祖父母の死と向き合わざるを得ない。

「わが国は前代未聞の『死の時代』に突入している」と、文化歴史学者ローレンス・サミュエル(Lawrence Samuel)氏は近著「Death, American Style」(アメリカ式の死)に記した。

 同氏によれば、1920年代以前の米国では、アイルランド系移民のにぎやかな通夜やニューオーリンズ(New Orleans)のジャズ演奏による葬列など、死は地域社会の行事として広く共有されていた。しかし「個人」が社会の中心となり、死は陰へと追いやられていった。

「わが国最後のタブーだ。以前はそれがセックスだったが、今は死のほうがタブーになっている」とサミュエル氏は8月1日にAFPの電話取材に語った。「死は、わが国を特徴づけるとわれわれが思う『若さ』や『進歩』、『達成』や『活力』や『エネルギー』といった多くの価値観の対極にある。人は死んでしまえば、もう何も達成することはない。(その意味で)死とは、極めて非アメリカ的であり、特にこういった価値観を大きくとり入れてきた米国人にとってはなおさらといえる」

 そうした上でサミュエル氏は、インターネットが米国人の死の悲しみ方を変化させたと強調する。ネット上では、「オンライン葬儀」や、遠方の近親者のためのウェブでの葬儀の生放送まで、革新的なサービスが誕生してきた。

 人が思い描く死と実際の死にざまの差を研究する米ラトガース大学(Rutgers University)の社会学者エリザベス・ルース(Elizabeth Luth)氏は、サイモン氏のツイートを読んだ人々の感情的な反応に驚いていない。「そうした反応はどんなものであれ、その人の死に対する考え方や、親しい人が亡くなった時の経験を大きく反映したものだと思う。確かに、ソーシャルメディアは(悲しみを)表現する新しい場を与えているのではないか」(c)AFP/Robert MACPHERSON