【8月4日 AFP】2011年の巨大津波で地図から事実上消し去られるまで、岩手県陸前高田(Rikuzentakata)市の白砂青松の浜は日本の旅の定番だった。

 現在、同地を再び訪れる人は増えている。しかし彼らが見ようとしているのは、破壊の爪痕や亡くなった人々の追悼の碑だ。戦争や災害によって死や苦しみの舞台となった場所を訪れる「ダーク・ツーリズム」と呼ばれる現象の最新の例だ。

■「奇跡の一本松」を訪れる観光客

 東北沿岸をめぐるツアーに、米ニューヨーク(New York)から来て参加した高校1年の進藤晶(Akira Shindo)さん(15) は「実際にここにきて目の前で見なければ、津波がどれだけ大きかったか実感できないと思います」と語った。

 太平洋三陸沖を震源とするマグニチュード(M)9.0の大地震が送り出した巨大津波が沿岸を飲み込んだとき、1万8000人を超える人が亡くなった。すさまじい波によって町や村は破壊され、建物は木っ端みじんに砕かれ、豊かだった農地では耕作ができなくなった。

 陸前高田市では300年以上にわたって潮風から町を守ってきた松の木7万本の防風林が跡形もなく流された。ただ1本だけ、天災を生き延びたものの後に枯れた「奇跡の一本松」と呼ばれる松の木は1億5000万円かけて復元され、その場所は訪れる人の「必見の地」となっている。

 陸前高田に行く24人のツアーを企画した旅行代理店の松田修一(Shuichi Matsuda)氏は「震災の記憶が風化するのを防ぎたかった」と言う。AFPが取材したこのツアーの参加者は皆、悲劇によって人生を切り裂かれた被災者の苦しみを目のあたりにし、恐怖を口にしていた。

■ニューオーリンズではツアーバス禁止も

 米国では7年前のハリケーン・カトリーナ(Katrina)で大きな被害を受けた地域の1つニューオーリンズ(New Orleans)市の住民たちが、物見遊山に訪れる観光客にたまりかね、市にツアーバスを禁止させるに至った。ある街角には黒いペンキで手書きされた標識のようなものがあった。「観光客よ──恥を知れ。ただ車で通り過ぎ、人の痛みを見るのに金を払う。ここで1600人が亡くなったのに」

 同市観光局の広報担当ローレン・ケイソン(Lauren Cason)氏は、ニューオーリンズを訪問する人々のことは歓迎するが、住民は、観光客に前向きな面に目を向けてほしいのだという。「わたしたちが強調したいのは復興の話です。今や市は活気にあふれています」

■クライストチャーチ「敬意をもって訪問を」

 一方、2011年2月の地震で街の中心部が壊滅し、185人が亡くなったニュージーランドのクライストチャーチ(Christchurch)の住民は、クライストチャーチ大聖堂(Christchurch Cathedral)跡など、地震以前に町のシンボルだった場所に押し寄せるバスから降りてくるカメラを持った観光客に慣れた。

 ニュージーランド・オタゴ大学(University of Otago)でマーケティングを研究しているシェーラ・ファーガソン(Shelagh Ferguson)氏とアレックス・コーツ(Alex Coats)氏は先月、「ダーク・ツーリズム」現象に関する論文を発表した。その中で、地元の住民はそうした関心をもたれるのは不可避だと受け止めているものの、惨事の記憶が生々しく残る地域社会でさらなるトラウマ(心的外傷)を引き起こさないよう、厳格な規制が必要だとしている。

 いくつかのグループごとに掘り下げた研究によれば、地震から2年半たった今も住宅の再建が続く郊外に住む人は、やって来る「やじ馬」を腹立たしく思っていた。しかし、多くの死者を出したクライストチャーチ中心部のオフィス街の人たちは、訪れる人々が敬意を払い、興味本位の言動を避けるのであればツアーは問題ないとしている。またクライストチャーチ以外の場所で地震の記憶が薄れていく中、被災地ツアーは訪れる人たちに、地震の被害者や街が経験した苦難について思い出させる役割を果たしていると研究は指摘している。さらに実利的な面で、被災地が立ち直るために雇用や投資を切実に求めているときに、観光客は金を使ってくれるという点がある。

■被災者に心遣いを

 陸前高田市に隣接する大船渡市で地元産品を販売している及川晃(Akira Oikawa)氏は「観光客が来て地元の物産を買ってくれるのはとてもありがたい」と語る。「震災の後は観光客がぐっと減りましたから」

「でも、『何人死んだのですか?』と聞かれたりすると、嫌だなあ、と思いますね」と及川氏。聞き方にもよるが「こちらを心配してくれていることが伝わってくるならばいいです」という。(c)AFP/Kyoko HASEGAWA