【7月15日 AFP】16歳のタヒラさんは昨年、酸をかけられて殺害された。だが、タヒラさんの両親は司法に訴えを起こすことができなかった。パキスタン当局者は両親を門前払いし、警察当局は事情を聴くことを拒否したのだ。

 第一容疑者であるタヒラさんの夫は、事件が取り上げられるまで自由の身だった。事件を取り上げたのは、激しい差別にさらされている女性への司法の裁きを勝ち取るための地域会合、パキスタン初の女性ジルガ(伝統的な会議)「Khwaindo Tolana」だった。

■女性の権利侵害の代名詞、スワト渓谷

 パキスタン北西部のスワト渓谷(Swat Valley)は、女性の権利の劣悪さの代名詞となった。昨年、少女活動家のマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)さんがタリバン(Taliban)勢力に頭部を撃たれたのも、この地域だ。

 タリバンが2007~09年にかけてスワト渓谷を支配していたころ、少女たちは通学を禁止され、教室は焼かれ、女性は男性親族同伴でなければ外出することもできなかった。政府の統治は2009年に回復したが、北西部の大半の地域同様、古くからの道徳観と保守主義により、女性はしばしば二級市民の扱いを受けている。

 タヒラさんは12歳で嫁がされた。パキスタンの村や部族社会では現在も、貧しい家庭が思春期の娘を嫁がせる行為が一般的である。

 だが、タヒラさんの母親によると、タヒラさんの夫だったスバ・カーン(Subha Khan)容疑者が娘に暴行や拷問をするようになり、不安を感じるようになったという。

 母親は、カーン容疑者がタヒラさんに酸をかけ、死ぬまで監禁したと信じている。

 タヒラさんの顔面と上半身は酸で破壊された。タヒラさんは14日間、苦痛で叫び続け、そして死んだ。

 両親は警察に届け出をしたものの、警察当局は行動しなかった。また、タヒラさんの一番上の兄が政府当局者に苦情を申し立てたところ、カーン容疑者とその父親から脅迫を受けたという。

 その後、両親のもとには、パシュトゥン社会の意志決定機関で部族の男性長老らで構成される地元のジルガから、タヒラさんについての償いとして、カーン容疑者の姉妹をタヒラさんの兄弟に嫁がせることを助言するメッセージが届いた。

 この助言を拒否したタヒラさんの両親は、女性だけのジルガがスワト渓谷最大の都市にあるという話を聞いた。

■事件を司法の場へ、女性ジルガの挑戦

「男性に有利な判断を下し、男性の過失の償いを女性に負わせる男性のみのジルガにうんざりしたのです」と、女性ジルガの代表、タバサム・アドナン(Tabbassum Adnan)氏(35)は語った。

 アドナン氏はタヒラさんの事件を取り上げ、タヒラさんの夫に対して法的行動を取ることを要求する抗議行動をした。アドナン氏の活動により、警察当局はカーン容疑者への捜査に着手した。だがそれ以来、カーン容疑者は逃亡したままだ。

 パキスタンでは裁判の長期化と司法の腐敗に対する不満が多く、部族のジルガが司法の代わりにされている。

 だがジルガは一般的に女性の権利を認めず、女性を差別する。男性の犯罪への賠償として、女性が本人への相談なしに婚姻相手として捧げられることも多い。

 アドナン氏は当初、スワト地域の主要ジルガへの加入を求めたが、拒否された。「そこで、自分たちのためのジルガを作った。女性が関係する案件についてはわれわれが判断する」とアドナン氏。「われわれの唯一の目的は、警察や政府当局を巻きこんで、女性に法的な支援を行うことだ」

 アドナン氏によると、女性からとても大きな反響があり、これまでに11人の女性が司法の裁きを受ける手伝いをした。一方、男性ジルガからの反応は、最も好意的なものでも煮え切らないものだという。

■前途多難な女性ジルガ

 スワト地域のジルガの広報担当者はAFPの取材に、アドナン氏らからジルガ加入の要望があったことを認めた上で、パシュトゥン社会においては「それは不可能」と語った。

 また、男性ジルガのメンバーらの多くが、プライベートな立場では女性ジルガの取り組みをばかばかしいものだと否定している。

 さらに、パキスタンの司法における有罪率は低く、女性ジルガの判断が法執行されないようであれば、ジルガの影響力も限定的になるだろうとの指摘もある。

 だが、スワト地区初の女性弁護士というサイマ・アンワル(Saima Anwar)氏は、重要な第一歩だと述べ、「このジルガはとても良い活動だ。女性たちにプラットホームを提供し、女性たちが権利を勝ち取る手助けをしている」と語った。(c)AFP/Khurram SHAHZAD