【7月5日 AFP】2012年7月、エジプト初の民主的選挙で同国のイスラム主義組織「ムスリム同胞団(Muslim Brotherhood)」出身のムハンマド・モルシ(Mohamed Morsi)氏が大統領に選出された。同胞団は創設から80年以上も、この日を待ち望んでいた。だが、それからわずか1年にしてモルシ氏は大統領の座を追われることになった。アナリストらは、非はムスリム同胞団自身にあると指摘する。

 反モルシ派は、モルシ氏がムスリム同胞団に権力を集中させたため、独裁体制だったホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)政権の崩壊を導いた2011年の市民革命を実らせることができなかった一方で、問題が山積する経済危機への対処でも失敗したと非難する。

■モルシ氏と同胞団の凋落は「自業自得」か

 今、世界では、軍が事実上のクーデターでモルシ氏を排除したことについて様々な論議が交わされている。だがアナリストらの見方は、ある1点で一致している。モルシ氏と同胞団は、自ら急速な凋落(ちょうらく)を招いたということだ。

 ムスリム同胞団批判は、同盟関係にあるイスラム系団体の間からも聞かれる。

 穏健派イスラム政党「ワサト党(Al-Wasat)」の幹部、ムハンマド・マスブ(Mohammed Mahsub)氏は「(モルシ)大統領は問題を先送りし、同胞団は国民の間に、反革命派を孤立させたであろう基盤を築く真の機会を逸した」と述べ、「失脚の責任は同胞団の指導部にある」と付け加えた。

 ムスリム同胞団は1928年、シャリア(イスラム法)によって統治される国家の基盤となる「イスラム主義世代」を生み出すことを目的に創設された。以来80年以上を経た2012年、大統領選挙の決選投票で同胞団が擁立したモルシ氏がアハメド・シャフィク(Ahmed Shafiq)前首相を破って当選。同胞団の長年の努力が、ようやく報われた瞬間だった。

■「革命」から離れていったモルシ氏

 大統領の座についたモルシ氏は徐々に政治の舞台で強引さを増し、12年11月には大統領権限を強化する憲法令を発令。反大統領派連合を代表するモハメド・エルバラダイ(Mohamed ElBaradei)氏は、権力を不当に行使した現代の「ファラオ(古代エジプト王)」だとモルシ氏を非難。モルシ政権下で初の反政府デモは、この時に発生している。

 さらに1月後、モルシ氏は新憲法案を押し通そうとして状況をさらに悪化させる。新憲法案の起草委員はイスラム主義者で占められていたことから、世俗派やキリスト教徒らは反発していた。

 最終的にモルシ氏と同胞団は、エジプト国民を1つにまとめることや経済危機への対処、強大な影響力を持つ軍の信頼を得ること、全てに失敗。国政を担う機会を無駄にした。

 一方、米調査会社ストラトフォー(Stratfor)は、モルシ氏と同胞団の失脚では軍が大きな役割を果たしたとみている。同社はウェブサイトに掲載した分析で「結局、モルシ氏は政府機構を統制できなかった。その要因はモルシ氏の政治的な弱さや同胞団に政権を担う準備ができていなかったことに加え、軍が影響力を手放さなかったことにもある」と指摘。「混乱を嫌い、ムスリム同胞団を信用していなかった軍は、同胞団を政権から排除できたことに満足している」とまとめている。(c)AFP/David VUJANOVIC