【6月26日 AFP】50年前の6月26日、ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)米大統領は大変な文法間違いをおかし、「私はジャムドーナツ」と宣言したという伝説がある。

 それによると、ドイツ語で「Ich bin ein Berliner」と演説したケネディ大統領は、不定冠詞「ein」の使い方を間違えており、冷戦下のベルリンへの連帯を示すためには「Ich bin Berliner(私はベルリン市民である)」と言うべきだったとされているのだ。

 だが、ベルリンの言語学教授アナトール・ステファノヴィチ(Anatol Stefanowitsch)氏は、ケネディ氏は間違っていなかったと、1963年6月26日の演説を記念する式典の前にAFPに説明した。「『Ich bin ein Berliner』という文は完全に文法的に許容できるものだ」

■「ベルリン市民」の意味には冠詞「ein」が不要

 このフレーズは演説の中に2度現れた。ケネディ大統領が考案し、通訳たちに翻訳させたという。

 ベルリーナ(Berliner)は確かにドーナツを意味するが、この発言の文脈を考えれば意味は観衆にはっきりと伝わったとステファノヴィチ氏は言う。

「混乱が生じるのは(ドイツ語では)通常、あらかじめ定義されている集団への自らの所属は、冠詞抜きで表現することに由来している。たとえば『Ich bin Student』、あるいは『Ich bin Berliner』のように」

「『Ich bin Berliner』という文は明確であり、これをドーナツと関連づけることは出来ない。なぜならドーナツは『あらかじめ定義されている集団』ではないからだ」

■ケネディ氏の「ein」はこれ以上なく的確、言語学者が太鼓判

 一方、冠詞「ein」を使うのは、ステファノヴィチ氏によれば、発話者がその集団(この場合はベルリン市民)に文字通り所属していないものの、その集団と何かを共有していることを表明したい場合だという。

「ケネディ氏が表現したかったことはまさにこれだ──彼は自分がベルリン住民であると主張したかったのではなく、ベルリン市民と何かを共有している、つまり自由への愛を共有しているということを言いたかったのだ」とステファノヴィチ氏は説明した。

 10分間の演説の最後に、ケネディ大統領はこの不朽の名言を残した。「全ての自由な人びとはどこに暮らしていようがベルリン市民であり、それ故に自由な人間として私はこの言葉に誇りを持つ。『Ich bin ein Berliner』」

 ということは、その夏の日、45万のドイツ人の群衆があぜんとした顔をしたり、笑い声が漏れたりすることはなかったということだろうか。

「ケネディ大統領は文法的に正しい文を演説しただけでなく、その場で意味をなす唯一の文を演説したのだ」とステファノヴィチ氏は述べた。(c)AFP