【6月23日 AFP】1997年にドイツ人として唯一のツール・ド・フランス(Tour de France)制覇を果たした元自転車選手のヤン・ウルリッヒ(Jan Ullrich)氏が、初めて禁止薬物の使用を認めた。

 ウルリッヒ氏は巨大なドーピングネットワークを展開したスペイン人医師エウフェミアーノ・フエンテス(Eufemiano Fuentes)氏の力を借りていたと明かした。

 24日に発売されるドイツの週刊誌フォークス(Focus)に対しウルリッヒ氏は、「そう、私はフエンテスからの処置を受けていた」と語った。

 しかしながら、「当時はほとんど誰もがドーピング剤を使用していて、他の人が使用していない薬物を特別に使用していたということはない」とも主張した。

 同誌によると、ウルリッヒ氏が行っていたドーピングは自己血輸血のみで、これは乳酸耐性を高めることを目的とした血液ドーピングとされている。

 ウルリッヒ氏は2000年シドニー五輪の個人ロードレースで金メダル、個人タイムトライアルで銀メダルを獲得しているが、競技に臨むに当たってライバルである強豪選手と同じ土俵で戦うことがモチベーションを生み出していたと振り返っている。

「個人的な見解としては、私だけが不当に有利な状況を作り出した場合であれば不正行為といえる。しかし、実際はそうではなかった。私が求めていたのはすべての選手に同等に優勝のチャンスが与えられることだった」と弁解している。

 さらに、自転車競技において成功をもたらした主な要因は生来の才能、努力、チームスピリット、勝利への志だったと述べ、ドーピングによって最も大きな痛手を負ったのは自分自身だったという。

「1番苦しんだのは私自身だった。それは、この一件によって傷つけられる私の一般的なイメージであり、健康に及ぼす影響からでもある。これについては、すべてに幕を引くときが来た。私は未来を見て生きていきたいし、もう過去に引きずられたくない」

 ウルリッヒ氏は、選手生活を通じて最大のライバルであり、どうしても超えることのできなかった相手、ランス・アームストロング(Lance Armstrong)氏のドーピング告白から数か月を経て、同様にドーピングを認めた。

 ツール7連覇を誇ったアームストロング氏は競技生活を通じてドーピングを行っていたことを1月に認めており、不正行為から数々のタイトルを剥奪、自転車競技からの永久追放処分を受けている。

 ウルリッヒ氏は2000年、2001年、2003年と3度のツール・ド・フランスでアームストロング氏に敗れて2位に終えており、イタリアの故マルコ・パンターニ(Marco Pantani)氏が優勝した1998年大会でも2位を記録している。(c)AFP