【5月28日 AFP】軍事政権による支配が終わり、欧米による経済制裁の緩和が進むミャンマーが「ゴールドラッシュ」の様相を呈している。経験豊かな投資家から急いで作った名刺と一獲千金の夢のほかは何も持っていないような新卒者まで、さまざまな人々が商機を得ようと海外から押し寄せている。

 かつては閑散としていた最大都市ヤンゴン(Yangon)西部では商業が活発化している。ホテルはどこも満室で、ヤンゴンで契約をまとめようと来た人々の話し声は夜になってもやまない。ホテルのロビーは、パソコンに向かい、雇用に積極的な海外企業とスカイプで話す外国人客でいつもごった返している。香港(Hong Kong)で法律を学んでいる米国人のピーター・モリス(Peter Morris)さん(34)はここ1週間、就職活動をしている。「卒業したらすぐ、必ずここに移って来る」と生き生きとした様子で語った。

 多くの経済制裁が解除され、2年前に発足したテイン・セイン(Thein Sein)政権が外国投資を促進する経済改革を導入したことを受け、通信や自動車、石油・ガス業界のほか、たばこ企業までもがミャンマーに押し寄せている。

 外国企業の多くは幹部をミャンマーに送り込み、主に海外から戻ってきた熟練したミャンマー人を雇用している。ミャンマーの旧式の学校制度で教育を受けてきた地元民には現代的なビジネス感覚が不足しており、このことが進取の気性に富んだ外国人に好機を与えている。

■起業でミャンマーに「インパクト」を

 スウェーデン出身の企業家でコンサルタントのアンドレアス・シグルドソン(Andreas Sigurdsson)さん(31)は、きらびやかな上海(Shanghai)の銀行で成功を収めたキャリアを捨て、ヤンゴンのみすぼらしい魅力を選んだ決断について「何もないこの地域には何でもあると気づいたんだ。入り込むニッチ(隙間)をすぐに見つけることができた」と話す。シグルドソンさんは、2012年にヤンゴンに来て数週間のうちに最初の事業、ミャンマー情報サイトmyanmore.comを立ち上げた。「ビールを飲んでいる時に思い付いた」構想を数日後に実現したという。

 シグルドソンさんは、起業して従業員を訓練し、雇用とスキルを与えることで、可能性に満ちているが能力と経験が不足しているこの国にインパクトを与えたいと語る。 

 また、ミャンマーの民主化運動の象徴で、最大野党・国民民主連盟(NLD)党首のアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)氏によって具体化された諸外国との親善も人々を引き寄せる要因だ。

 デザイナーのカルタ・ヒーリー(Karta Healy)さんは中国で成功した竹製品の事業をミャンマーに持ち込んだ。ヒーリーさんは竹製家具から自転車まであらゆる物の製作に地域社会を拠点としたワークショップを利用する。「国際社会での孤立を背景に、ミャンマーの人々は必然的に最も環境に優しい国民となった。ミャンマーが世界一とまではいかなくとも、アジアで最も環境に優しく、無駄の少ない社会になるのが私の夢だ」と語った。

 殺到する外国人は万人に歓迎されているわけではない。一部のミャンマーの年配者は、横柄なタイプの新参者は皆、ミャンマーについての知識もほとんどないのに、抜け目がなく、将来の非現実的な計画ばかり議論すると不満をもらす。

 ただ、ミャンマーの人々の多くは外国の専門技術から学ぶのを喜ばしいと思っており、それが、停電や通信速度が遅いインターネット、高い家賃、融通の利かない官僚主義にもかかわらず多くの外国人がヤンゴンにとどまっている理由のようだ。(c)AFP/Aidan Jones