【2月5日 AFP】1992年秋、サラエボ(Sarajevo)には凍るような寒気が居座っていた。包囲されたサラエボ市内で暖を取るのに苦労した住民は、ガスと電力の供給が止まった後、まきとして使えそうなものをかき集めた。サラエボの周囲を取り巻く丘には、動くものならなんでも発砲する狙撃手たちが隠れていた。

 現地に初めて到着したAFPカメラマンのパトリック・バズ(Patrick Baz)氏は、1992年10月27日の写真を撮影している。サラエボ包囲が始まったおよそ6か月後のことだ。包囲はその後3年間続き、近代における最も長い都市の包囲となる。1万人以上が命を落とした。

 その写真――やつれた若者がカートで枝を運ぶ様子をとらえた写真――はAFPの倉庫の中に永久に保管されたままのはずだった。だが、いくつかの偶然が重なり、20年後の現在、新たな人生を歩むことになった。  

 サラエボ包囲から20年を機に行ったマルチメディアプロジェクトでこの写真を使った英国放送協会(BBC)記者のエイドリアン・ブラウン(Adrian Brown)氏は、「サラエボの物資不足を説明するためにパトリックの写真を選んだ」と選定の理由を振り返る。「この若者の苦悩の顔に強く引きつけられた」

 ブラウン氏のプロジェクトがオンラインで公開された数か月後、元ボスニア人難民で米カリフォルニア(California)州に住んで17年になるウラジーミル・ブルノガさんは、キーボードを打っているときに電話を受けた。

 「とにかく今やってることをやめて、このウェブページを見ろ」と電話越しに友人が言った。

 ウラジーミルさんは自分の目を疑った。

   「衝撃だった。あの写真を見て、あの写真が撮影された瞬間のことが急に思い出された。突然、20年後に、私は紛争中のサラエボに戻っていた」と、ウラジーミルさんは電話取材に語った。「空気の湿り気をかぐことができた。肉切り包丁で木を切って出来た手のまめを感じることができた――それは、サラエボ包囲のほんの始まりに過ぎなかった」

 ウラジーミルさんは当時17歳だった。クロアチア人の父親とセルビア人の母親の間に生まれたカトリック教徒というウラジーミルさんの家族は、民族を越えた調和が戦争前のサラエボには存在していたことを物語っている。ウラジーミルさんはサラエボ大学(University of Sarajevo)で獣医学を学ぶ手続きを終えたばかりだった。

 だが血塗られた紛争は、ウラジーミルさんの計画と人生をひっくり返した。