【1月11日 AFP】現在も1日約400万人が利用する世界最古の地下鉄、英ロンドン(London)の「チューブ」が10日、営業開始から150周年を迎えた。

 3年間に及ぶ建設工事の末、メトロポリタン鉄道(Metropolitan Railway)の路線が営業を開始したのは1863年1月10日。開業初日には、蒸気機関車に乗ってみたいという人たちが長蛇の列を作った。かつて発行されていた英紙デイリーニューズ(Daily News)も、「史上初めて、ガス管よりも水道管よりも、墓地の棺よりも深い所で、人間は非常に快適な客車に乗ることができるようになった」と熱狂的に伝えた。

 最初の路線は、当時は世界最大の都市だったロンドンの混雑緩和を目的として建設され、地上を走る鉄道の駅のうち、中心部にある3つのターミナル駅(パディントン(Paddington)、ユーストン(Euston)、キングスクロス(King's Cross))と接続された。当初は7つの駅を結ぶ全長約5キロメートルの路線で運行し、車両の照明には、ガスランプが使われた。また、座席には1等から3等までがあった。さらに1874年には、喫煙席と禁煙席が設けられた。

 開業時の乗客の1人、ウィリアム・ハードマン(William Hardman)氏は、「普通のトンネル以上に不愉快な臭いがするわけでもなく、車両も天井が非常に高く、長身の人でも帽子をかぶったまま立っていることができた」と話したという。

■総延長は5キロから400キロ、駅数は7から270に

 それから1世紀半。「チューブ」と呼ばれるようになったロンドン地下鉄は、270の駅を結ぶ全長約402キロのネットワークにまで拡大した。利用客は年間およそ11億人を数える。ロンドン地下鉄のデービッド・ワボーソ(David Waboso)氏は、チューブは「ロンドンの血液」だと話す。

 さらに、共著で「Underground: How the Tube Shaped London(アンダーグラウンド――いかにチューブがロンドンを形成したか)」を発表したオリバー・グリーン(Oliver Green)氏は、「チューブのシンボルは、ロンドンのシンボルになった」と指摘する。赤い円に青い水平の棒で表された「円形のマーク」が登場したのは、1908年。このマークは今や、チューブの路線図と同様、間違いなくロンドンの象徴だ。

■ロンドンの時代のリズムを受け入れてきたチューブ

 また、チューブは首都であるロンドンの時代のリズムを受け入れざるを得ず、その将来を決定付けるいくつかの出来事をくぐり抜けてきた。第2次世界大戦中、ナチスによるロンドン大空襲の間、数千人のロンドン市民は地下鉄の駅に避難し、その中で寝起きした。その数は1940年9月27日の時点で、17万7500人に上ったと記録されている。さらに、その60年ほど後の2005年には、チューブは自らが攻撃の標的となった。7月7日に発生したロンドン同時爆破テロ事件で、自爆犯4人が地下鉄の3か所とバスで爆発および爆発未遂事件を起こし、52人が犠牲になったのだ。

 その歴史を通じて、チューブは愛され、時にののしられてきた。観光客はチューブについて、混雑した車両が信号故障で停止し、その中で30分間も汗をかいた通勤客とは、大きく異なる意見を持つかもしれない。「ロンドン市民と地下鉄の間には、愛憎の絡み合った関係がある」とグリーン氏は言う。

■じわじわ進む近代化、試される忍耐力

 故障が多いこと、改修工事が終わらないこと、乗車料金が高いことについて、誰もがチューブに不満を持っている――ロンドン中心部の限定的なエリアだけの利用でも、1か月の定期の料金が116.80ポンド(約1万7000円)になるのだ。だが、それでも市民はチューブを利用せざるを得ない。

 英紙デーリー・テレグラフ(The Daily Telegraph)は、チューブは数十年間にわたる慢性的な投資不足によって「怪物になり、硬直化し、手足の自由を失った」として、増え続ける利用客への対応に苦しんでいると伝えている。

 一方、31人が死亡した1987年のキングスクロス駅での火災事故は、チューブへの警鐘になったとグリーン氏は語る。政府は1990年代からチューブへの再投資を始め、2003年には大規模な近代化プログラムに着手した。2020年に完了予定のこの工事にかかる費用は、年間14億ポンド(約2018億円)とされる。近代化は進められているものの、週末には路線が一部区間運行を停止することから、迂回しなければならない利用者たちは、その忍耐力を試される状況になっている。(c)AFP/Beatrice Debut