【12月19日 AFP】オランダの首都アムステルダム(Amsterdam)の赤線地区の一画で、この街で最も有名な2人の「おばあちゃん」たちと一緒に写真に収まろうとするファンが押し合いへしあいしていた。アムステルダム最高齢の売春婦、フォケンズ姉妹だ。

 双子のルイーズさんとマルティネさんは、2人そろってレザーブーツにジーンズ、レザージャケットと赤ずくめの全身を赤いベレー帽で締めくくり、首からはスカーフ代わりに星条旗を垂らしている。

 ここは半裸の「働く女たち」が赤い窓枠から体を見せつけ、客を誘い込む通りだ。そこに、この姉妹と言葉を交わそうと地元の老いも若きもが列を作り、その様子を観光客が面食らったように眺めている。

 世界で最も有名な売春の街、ここ「飾り窓地区(De Wallen)」で、フォケンズ姉妹は1960年代から半世紀にもわたって、売春婦として働いてきた。市当局によれば、現在アムステルダムで性産業に従事する人口は推計5000~8000人だが、この地区にある370軒の「窓」の後ろで商売をしているのはそのごく一部だという。

 70歳になるフォケンズ姉妹は昨年、「赤いカーテン」の裏側の人生を描いた2人の映画がアムステルダムの国際ドキュメンタリー映画祭で上映され、一躍名を知られるようになった。映画人気に押されて2冊の本も出版され、10月からは深夜トーク番組にレギュラー出演もし、「セレブ売春婦」としての地位を「不動」のものにした。2冊目の本、『Ouwehoeren op reis』(旅する年老いた娼婦たち)は数万部を売り上げ、オランダ国内のベストセラー・ランキングを駆け上っている。

 アムステルダムでは15世紀から娼婦たちが、立ち寄る船乗りやスリルを求める男たちに体を売ってきた。フォケンズ姉妹もあらゆるものを目にしてきて、今や大抵のことには動揺しないという。「『初体験』のために息子を連れてくる父親から、もっと倒錯した客まで何でもありよ」。自分の「窓」の中の赤いベッドに横たわりながらマルティネさんが話すと、ルイーズさんが割って入る。「寝た相手の数は数え切れないわね」。そう言うと2人は目を合わせて一気に笑った。

 2人は長年、自分たちの売春宿を経営し、さらにオランダ政府が2000年に売春を合法化するずっと以前に性産業従事者のための労働組合を立ち上げた。

 ルイーズさんは2年前、関節炎のせいで「体位がとれない」から、ピンヒールのブーツから「足を洗った」。マルティネさんは今も週1、2回、ソフトコアのボンデージ専門で年配の紳士客をとっている。

■「昔は女の子同士が面倒を見合っていた」

 10月の初めから姉妹は、セックスとドラッグについて語る深夜番組で、性にまつわる厄介な身の上相談の回答者としてレギュラー出演するようになった。

 フォケンズ姉妹と一緒に写真が撮りたくて並んでいた19歳のコーエン・ボーイ君は、AFPの取材に対し「2人をテレビで見たんだ。すごくかっこいいと思うよ」と語った。「僕たちの親が答えられないことを答えてくれるからね」

 アムステルダム大に通うという20歳のジャニンさんも「彼女たちは本物よ」と惚れ込んでいる。「2人は男性に、女性の正しい扱い方を教えてるのよ」

 多くのファンができたことにフォケンズ姉妹は驚いているようだが、愛や男女関係に関する2人の言葉は、長年の経験から得られた真実として大勢の人の心に響いている。

 姉妹は陽気に振舞い、メディアも「2人の変わったおばさん」がたまたま売春婦だったかのように描いているが、2人の苦境や虐待を受けた過去は時に浮かび上がってくる。 「私たちは貧しかった。夫に言われたのよ。おまえが働きに行かなきゃならない、『2年だけだから』って」とルイーズさんは顔を少しこわばらせた。「どういう仕事を意味しているのか、分かってなかった。それからもう50年よ――最初は本当に辛かった。思考を止めるしかなかった。年をとってからよ、ましになったのは」。

 はびこる暴力と搾取が、「小さな売春宿」と呼ばれる地区で初の売春婦による労働組合結成に姉妹を駆り立てた。

 人生で何か悔いはあるかという質問に2人はそろって首を振った。「赤線地区が変わりつつあるっていうこと以外に、何も悔いはないわ」。ルイーズさんはさらにうんざりしたように言う。「働いている女の子たちに代々受け継がれてきた作法っていうものが、今ではなくなってしまった。今時の女の子は素っ裸同然で、ドラッグも取引するし、自分たちもやっている。あれでは犯罪と金よ。自尊心のある売春婦はドラッグはやらないものよ」

 そしてこうも嘆いた。「昔は女の子同士、面倒を見合っていた。もう、そんなものはない。人間味っていうものが、売春街からなくなってしまったのよ」

(c)AFP/Jan HENNOP