【10月13日 AFP】今から50年前の1962年10月、米国はソ連がキューバにミサイル基地を建設中であると発表し、海上封鎖を行った――キューバ危機の始まりだ。

 同月26日、ソ連側は打開策を提示する文書を米国に送ったが、それが米大使に手渡されてから翻訳、送信、暗号化といったプロセスを経たことにより、最終的に国務省に伝達されるまでに実に12時間近くを要した。

 危機回避後、首脳同士が直接対話する通信線の必要性を痛感した両国は1963年8月30日に通称「赤電話」と呼ばれる通信線(ホットライン)を設置。この「赤電話」、実は赤くもなければ電話でもなく、書面メッセージを伝達するケーブル線だった。

 70年代になると衛星電話回線も追加され、様々なデータのやり取りが可能となった。「赤電話」はその後、中国、ロシア、インド、パキスタンといった国々でも採用された。(c)AFP