【10月10日 AFP】かつては北アフリカで広くみられた「アトラスライオン」――しかし1922年、フランス人植民者により最後の1頭が狩猟の標的とされ、野生での絶滅が宣言された。

 バーバリライオンとも呼ばれるこのライオンの亜種。驚くことに、モロッコ現国王の祖父にあたるムハンマド5世(Mohammed V)の私的動物園で飼育されていた個体がまだ生き残っていたのだ。この動物園では、国内の部族から王への忠誠の証として贈られた数頭のアトラスライオンが飼育されていた。

 今年、開園したラバト動物園では、アトラスライオンの血統を絶やさないようにと繁殖が試みられている。「国の独立(1956年)以来、この動物園のアトラスライオンはモロッコの誇りを象徴するものとなった」と飼育を担当するアブデルラヒム・サヒルさんは言う。

 今日、王家の紋章には王冠を守る2匹のアトラスライオンが描かれ、また国民的人気のサッカー代表チームは「アトラスライオンズ(Atlas Lions)」の愛称で呼ばれている。

 アトラスライオンのオスには背中や腹にまで伸びる、濃い色をした長いたてがみがある。筋肉のしっかりついた体と機敏な動きは、アトラス山脈 (Atlas Mountains)を駆け獲物を狩る中で進化したと考えられている。サハラ以南の近親種よりも大きく、体重は225キロ以上という者もいる。

 ラバト動物園では開園直後に3頭のアトラスライオンが誕生し、関係者らは大変喜んだ。「この3頭は王の動物園にいたライオンたちの直系の子孫。まったく純血統だ」とサルヒさんは胸を張る。世界の動物園で現在飼育されているアトラスライオンの約半数にあたる32頭がこのラバト動物園に生存している。

■生息数はローマ時代から減少

 何百年も前のローマ時代、アトラスライオンの生息数はすでに減少していたという。捕らえられた個体は船でローマ(Rome)帝国へと送られ、円形競技場などで行われた残酷な見世物に使われた。

 また戦争捕虜や犯罪者に飢えたアトラスライオンを放つこともあったとされ、19世フランスの「殉教者、最後の祈り」と題された東方趣味の絵画には、キリスト教徒の集団に襲い掛かるアトラスライオンが描かれている。

 野生のアトラスライオンを絶滅に追いやった原因はさまざまあるが、アトラス山脈の森林破壊に加え、19世紀に欧州から流入した銃と狩猟がそれに追い討ちをかけた。

 世界中の動物園と協力してアトラスライオンを保護し、その頭数を増やすという使命をラバト動物園は負っている。

  「大きな挑戦だ」とサルヒさんは意気込んでいる。(c)AFP/Jalal al-Makhfi